本日情熱大陸にピアニストの反田恭平さんが登場します。
ちょっと調べてみたらモスクワ音楽院へ首席で入学し、将来有望なピアニストの一人とささやかれているとか。
という事で今回は彼について調査してみたいと思います。
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反田恭平のプロフィール
生年月日 1994年9月1日 22歳(2016年10月現在)
出身地 北海道札幌市
職業 ピアニスト
所属事務所 日本コロムビア
両親
父親はサラリーマンで母は音楽好きですが、エレクトーンを嗜む程度。家庭環境からは天才的なピアニストに育つ要素はあまり見受けられませんが、どうも彼には才能があったようです。
ピアノを始めたきっかけ
ある日母親がエレクトーンで「ミッキーマウス」を弾き、それを聴いていた恭平君は
「簡単そう」
と見よう見まねで弾いたところ見事に弾けてしまい、それを見ていた母親が
「音楽教室に入れよう」
といって恭平くんをピアノ教室へ連れて行きます。
音楽教室に行った恭平くんは
「鍵盤を盗み見て百発百中で音程を当てた」
そうで、それを見た先生が「本格的に習わせよう」
という事でピアニストへの道を歩み始めることになります。
実はこの「鍵盤を盗見て…」という言葉の裏にはこのような事情がありました。
ドミソ、レファラとか和音を当てましょうということをやってたんですけど、今でも記憶があって、ずっと横目で先生が弾く鍵盤を見てたんですよ。それで“ドミソ”って言ったら、先生が“この子は耳がいい”って。それで絶対音感を鍛えるという教室に通って、好きなように弾いてたんですよね。
まんまと先生は恭平くんに騙されたという事でした。
2006年-12歳の時、桐朋学園大学音楽部付属子供のための音楽教室「仙川教室」へ。調布の仙川でしょうかね。
サッカー選手への夢
元々はサッカー選手になるのが夢で、地元クラブへ所属するほどサッカーにのめりこんでいたそうです。しかし、小学5年生の時に手首を骨折。その時の治療での痛みがトラウマとなってサッカー選手になる事を諦めます。
そんな時に浮かんだのがピアニストという選択肢。
父親が反対
しかし父親は音楽学校へ行くことに反対し、もし学校へ行きたかったら中学三年生までにコンクールで1位を取ってこい、と言われます。それが中学2年生の9月。
という事で三年生まで期間がないにもかかわらず、音楽コンクールを片っ端から受けて見事1位を獲得し、なんとか父親を説得して桐朋女子高校音楽科(男女共学)へ奨学金をもらって入学。
特待生として大学へ
2012年-第81回日本音楽コンクールで1位、その他多数の賞を獲得し、特待生として桐朋学園大学に入学します。
高校、大学共に特待生としての入学は、音楽関係者曰く、「聞いたことがない」との事。
つまり類まれなる才能の持ち主という事なのでしょう。
2013年-ロシアのM.ヴォスクレセンスキー氏の推薦によりロシア留学。
2014年-モスクワ音楽院に首席で入学。
ということで現在はロシア語、英語、そして挨拶程度の韓国語ができるというマルチリンガル。
彼女について
彼女についてですが…
結論から申し上げますと、そのへんの情報は皆無。
しかし、
ですよ、
http://nznsms.jp/より
このルックス。
もちろんきちんと照明をセッティングして宣材用に撮ったものなのでしょうが、それにしても女性はもとよりアッチ方面からも熱い眼差しを寄せられてもおかしくはないですね。
という事でアッチの噂も調べてみたのですが、情報なし。
という事で色恋沙汰に関しては今のところ何もないようです。
練習方法
やはり天才なのか、基本的には練習したい時にしか練習しないんだそうです。
といっても音楽の事を全く考えないという事ではなく、練習していないときには脳内で楽曲の分析をしているそうです。
何度も脳内でメロディを再生し、
ここのメロディで、下が動いて、何度になって…って、けっこう細かく考えちゃうほうなので。僕には出来ないんですが、弾けないところを3時間ぐらいやる人がいますよね。あれ、ゲシュタルト崩壊になりません?
とも語っているので、逆に練習のしすぎが彼にとっては仇になるようです。
という事で、実際にピアノを弾くときには部分練習はせずに通しでやるとか。それも短期集中型という事でコンサートが近くなってからしか練習をしないとも語っていました。
逆に言えば効率よく最小限のエネルギーで最大限の効果を発揮するという事なのでしょう。
しかしながらなかなか常人には真似できる代物でもない、裏を返せば効率の良い練習方法さえ取得すれば誰でも彼のように弾けるとの示唆なのかもしれませんが…
という事で一風変わった天才ピアニスト、反田恭平さん。
今夜はどのような姿が見れるのか楽しみでもありますね。