山川咲のプロフィールや旦那、家族を調査!何故仕事を辞めるのか?

山川咲が熱い!

と言っても一般的には知名度が低いので

「その人誰?」

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なんて声が聞こえてきそうですが、実はその方面では「超」のつくほどの有名人。

そんな彼女ですが、自ら築き上げた地位をかなぐり捨ててまた次なる野望に向かって突き進むとか。

安住の地を捨ててまでひた走りに走り続ける理由は?と思い調べたところなかなか興味深いつながりが見えてきました。

彼女のその動機を生い立ちから探りだしてみたいと思います。

 

Contents

山川咲のプロフィール

名前山川咲(やまかわさき)・ニックネーム「ちゃき」
生年月日1983年 32歳(2016年5月現在)
出身東京都
職業元アチーブメント採用リーダー・現ウェディングプランナー
父親元アナウンサー・山川建夫
旦那森山和彦
学歴神田外語大学外国語学部

 

父親について

父親は元フジテレビのアナウンサーの山川建夫(72歳)。「会社暮らしに恐怖を感じた」と1985年に同社を退職後、ワンボックス車を改造して家族(妻・当時2歳の咲ちゃん)とともに約2年に渡って全国を放浪後、千葉県市原市の農村へ月額1万円で家を借りて定住します。普段は農耕を営みながらアナウンサーとしての活動を行っているようですが、歳が歳だけに今はその方面の仕事はどうなんでしょうかね。

と思ったら、たまに対談などへお呼ばれして小銭を稼いでいるみたいですね。

ツイッターもやっていますよ。

若いころは活動家として奮闘

いわゆる全共闘世代という事で若いころはベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)といういわゆる新左翼と言われる団体とかかわり反戦運動に勤しんでいたようです。

さらにはフジテレビへ入社後は労働組合を結成し、フジサンケイグループの同族経営を批判しています。

その他にもアシスタント時代(1970年・26歳ぐらい?)に元李香蘭の山口淑子がベトナム戦争を視察した事に対して、

「2週間程度の取材で、戦争の実態がわかるのか」

と批判して番組を降板するという程の熱血漢と申しましょうか、正義感の塊のような人物です。

そんな会社にとっては厄介この上ない人物でしたが、なんとその後15年間も同社で仕事を続け、1985年

「会社暮らしに恐怖を感じた」

と退職して全国へ旅にでかけます。

おそらく会社に煙たがられて圧力でもかけられたのでしょう。

退職後は家具職人になりたいと北海道で仮住まいをし、その最中に妹が生まれます。そしてその後はログハウス職人になりたいと、山梨へ一家4人で居候した事まであるという、人生なるようになるといった考えの父親だったようですね。

おそらく労組活動をしていたのでろくに昇給もせずにお金もなかったのでしょう。咲さんが中学3年生までは自分で薪を使ってお風呂をたかないといけない生活を過ごしていたというのも実はお金がなかった父親のせいだったのかもしれません。

 

父親の2度の結婚

1度目の結婚

お相手は元フジテレビアナウンサー宮崎総子さん。(1944年-2015年)

彼女との間には娘が生まれますが、4歳の時に子供がいなかった俳優の仲代達矢さんと演出家であり、宮崎聡子さんの実姉でもある宮崎恭子夫妻の養女となります。

初めての子供での養女でしょうか?

詳しい情報はないので断言できませんが、だとすれば人っ子を養女へ出したとも考えられますね。私にはその心境がよく理解できませんが、無理やり解釈すれば

「子供がいなくて困っている人のためになるなら…」

と利他的な行動へでたとも考えられますね。まっすぐな山川さんの正義感を考えれば納得がいきます。

この養女が後の仲代奈緒さん。活動履歴を見ると映画・CM・舞台と本数は少ないものの、幅広い活躍をされているようです。

 

2度目の結婚

こちらは一般女性と思われますが、彼女との間に産まれたのが山川咲さんという事になります。

つまり異母姉として仲代奈緒さんがいらっしゃるというわけですね。

以上、かなり長くなりましたが彼女の出自にまつわる話でした。

 

大学卒業後~アチーブメント~一人旅

そのような進歩的な父親をもつ山川さんですが、大学卒業後は5年間人材コンサルタント会社「アチーブメント」へ就職。退職後は一人でオーストラリアへ旅へと出かけます。これは幼少時に父親と一緒に旅をして回った事が影響しているのでしょうか。幼心にとても楽しい思い出だったのでしょう。その追体験をもとめて放浪の旅、とも考えられますね。

一人旅をしたのは27歳、つまり結婚後。旦那は寂しがりながらも「可愛い子には旅をさせよ」と奥さんの背中を後押ししてくれたんだとか。

旦那出来杉。

 

アチーブメントに就職した理由

話は前後しますが彼女がアチーブメントを選択した理由が面白いので簡単にまとめ。

2005年、学生団体(ガクサー、aim)が逆求人フェスタなるものを開催。このイベント、通常の求人だと学生が企業を回るというものですが、これは学生を企業が訪れるという珍し形式。

つまり学生机の前に座っていれば勝手に企業の人事担当者が回ってくるというもの。故に学生側にはそれ相応の能力の高い人材を容易したという事なのでしょう。つまりこの頃から山川咲さんは学業において秀でていたと。

そこへやってきたのがKさんというアチーブメントの人事担当者。彼曰く、山川さんのエントリーシートからはオーラが発せられていたとか。瞬間彼は山川さんを獲得するという意志をかため、当の彼女の前に座ると「今日はアタナに会いに来た。」と口説きにかかったという事でした。

その後Kさんは彼女へ毎日のように連絡を入れ、それが功を奏したのか、彼女はアチーブメントへ就職を決めます。

彼女の元へはあのバンダイやマクロミルなどからもオファーが来ていたということですから、いかに彼女がその頃から人々の目を惹いていたのかが伺えます。

そして彼女がアチーブメントを選んだが理由がまた凄い。

「もっとも厳しい道だから。」

というものでした。

聞きようによってはとても失礼な物言いですが、バンダイやマクロミルを蹴ってまで選んでくれたと、企業側としては万々歳でしょうね。

この頃から既にチャレンジ精神旺盛だった理由はもちろん、左翼活動をしていた反骨精神あふれる親父さんの影響だと思われます。

幸か不幸か定かではありませんが、政治的なスタンスはどうやら親父さんからは引き継がなかったようですね。おそらくポリティカル方面への興味なさは親を反面教師として見ていたからなのかもしれませんね。

しかし親父さんの意志を受け継いで第二の重信房子としてゴラン高原でイスラム戦士とともに戦う姿を(いつの話だよ!因みに私そんなに歳はとっておりません)ちょっとだけ見たかった気もしますが、イスラミックステートというもの出現で風流というものが失われた今となってはどのみち無理だったでしょう。

 

アチーブメントという会社に関する噂

ホームページを見たのですが、「頂点への道」講座のスタンダードコースというものがあり、その目的が、

「人生を戦略的に生き、目標達成するための技術体得」

というもの。

受講料が32400円(会員) 64800円(非会員)

 

ん?

 

セミナー?

 

しかもいいお値段

 

ピコーン!

 

自己啓発系?

 

と気になって調べた所…

関連キーワードに「宗教」なんて言葉もありました。

 

ムムム…

怪しいかほりが(実は大好きなのだが)

と思い更に口コミを調べると…

いろいろ出てきました。

 

実際に同社のセミナーを受講した人物のネットの口コミを読むと…

 

・確かにモチベーションはあがるがそれに見合う金額かは疑問

http://okwave.jp/qa/q8680836.html

簡単にまとめると以上になります。

 

あくまでも噂レベルの話ですからね。その他にも似たような口コミが見られる(ネガティブな意見が多いですが)ところを見ると、あながち根も葉もない噂とも思えなかったです。

 

そのような会社に就職した山川さん。おそらくそこでは講師でもしていらっしゃったのでしょうか。私が勝手にイメージするに、厳しい教習を受けている最中も、それでも人のためになる仕事をするためにはこれを乗り越えねば!と思って頑張りますが、やがてその手法や厳しいノルマに疲れ果てて、同社で出会ったと言われる旦那と結婚後に退職。

と、このようなストーリーが組み立てられますね。

趣味が泣く事(感情を吐き出す)とあるのは実はこの時に培われた(?)ものなのかもしれませんね。

 

成功者

そんなネガティブな噂話もあるアチーブメントですが、実は山川咲さんを見ればわかるのですが、その会社のおかげで成功したとも言えるので、アチーブメント=自己啓発系の何も結果が出ない商法、と単純に言い切れないのではないでしょうか。

つまりメソッドを受けたからといって必ず成功するとも失敗するとも断言できないところが、この手の商売の良し悪しを見極めるうえで難しいところなのです。成功者はいい言葉を言うし、失敗者は批判する。中には成功して批判する人もいるでしょうが…

 

旦那

名前森山和彦(もりやまかずひこ)
生年月日1983年 32歳(2016年5月現在)
出身東京都
学歴中央大学卒業
職業株式会社UNITED STYLE 代表取締役

大学卒業後

2005年、アチーブメントの新卒第一期生として入社。山川咲と出会う。社員が20人というその会社で1日20時間ぐらい働いていたという事でした。

ひょっとしてブラック?とも思いましたが、本人曰く

非常に人間関係が良く、嘘のまったくない真っ直ぐな会社です。誰に命令されることもなく、本当に自由な裁量を与えてくれる環境で、会社を成長させる喜びに心弾ませながら、朝から晩まで働きました http://www.crazy.co.jp/より

との事。

つまり私が想像していた企業イメージとは全くもって乖離していたというワケでした。しかしこれは森山さんの主観であり、10年以上も前の話なので今どのように変化しているかは定かではありませんが。

2011年8月-同社を退社。

2012年7月-株式会社UNITED STYLEを設立。

以上になります。

 

山川咲は何故順調な仕事を辞めるのか?

一言でいえばチャレンジ精神。

つまり自分が全力を注いで達成した仕事についてはとたんに興味がなくなり、次の困難へ向かって突き進む。

かなり抽象的な表現ですが、これに尽きるのではないでしょうか。

それはおそらく、幼少時のキャンプ生活によるインプリントと親父さんの反骨精神を引き継いだ結果だとも言えそうですが、それらは全て後付なのであまり意味がないといえば意味がありませんね。

こっちの方面は私にはない世界観なのでとても興味があり、本当はもっと書きたい事がたくさんあるのですが、どうやら切りがなさそうなので泣く泣くこの辺でやめにします。

 

以上、山川咲さんについてでした。

 

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