松山三四六はいつ結婚したの?馴れ初めや奥さんのデビュー秘話も!

「2019世界柔道選手権東京大会」、通称「世界柔道」で選手以上に注目を集めたのが松山三四六さんです。ネットでも「三四六さんのインタビューがいい」「三四六の解説がわかりやすい」など結構な評判です。

デリカシーのないリポーターが多い中「選手に寄り添う」インタビューが視聴者を惹きつけているようです。そんなわけで今回はみなさんが気になるであろう松山さんに関するネタ、つまりは奥さんとの馴れ初めや結婚についてまとめてみました。

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松山三四郎のプロフィール

プロフィール
名前:松山三四六
本名:秦光秀(はたみつひで)
生年月日:1970年7月9日
出身地:東京都
学歴:明治大学法学部卒
職業:ものまねタレント、リポーター、ラジオパーソナリティ、客員教授、歌手

順風満帆

三四六は小学校時代に柔道を始めたのですが、当時は相撲もしており小学校4年から6年の間で、わんぱく相撲東京場所で3連覇を果たすほど強かったということです。因みにですが、このとき今の花田虎上さん(第66代横綱若乃花勝)とも対戦し勝っています。

中学に入ってからは柔道に専念。第16回中学校柔道大会の78㎏以下級で優勝を果たします。このときの決勝の相手は後の世界チャンピオンとなる中村佳央ですから、そのままいけば三四六も世界の頂点に立っていたかもしれません。

挫折

こうして未来の金メダリストとして期待されていた三四六ですが19歳の時に膝の半月板を損傷し、柔道の道を断念することになります。このときのことを三四六は人生最大の挫折と後に語っています。

吉本興業~現在

柔道を辞めた後、三四六は吉本興業へ入社し、ものまねタレントとして活動を始めます(因みに芸名の「松山」という苗字は松山千春さんからもらったそうです)。ただこの頃はまったく売れずすぐに吉本興業を退社してラジオパーソナリティに転身。現在は長野県に拠点を置き、今では長野では知らない人はいないというほどの人気者となりました。

三四六の結婚相手と馴れ初め

三四六は1998年に結婚しています。お相手は網浜直子さん。

プロフィール
本名:秦直子
生年月日:1968年8月12日
出身地:兵庫県神戸市灘区

中学卒業後、「ミス・セブンティーンコンテスト」でグランプリを獲得し、芸能界入りを果たします。このとき決勝に残った他のメンバーは、工藤静香さんや国生さゆりさん、松本典子さんなど錚々たる顔ぶれ。

1985年に「シブがき隊」と映画で共演し、さらに歌手としてもデビュー。

中山美穂さんとはドラマで共演、飯島直子さんとは「W-NAO」というユニットを結成するなどアイドルとして活躍されました。

網浜と三四六の馴れ初めは「ものまねバトル大賞」での共演。二人はこの出会いですっかり意気投合し、熱愛の末にゴールイン。現在も夫婦仲は良好ということです。

子供はいるの?

三四六と網浜の間には2人の子供がいます。2人とも男の子で、長男は七伎くん、次男は峻馬くんです。三四六の影響で、七伎くんも峻馬くんも柔道をしていて、親子揃って柔道着を着た姿をブログで見ることができます。2人とも強くたくましく成長されているようです。

まとめ

あの吉田秀彦さんにして「半端なく強かった」と言わしめるほど、柔道では無敵だった三四六。ものまねタレントとして芸能界デビューするも、今一つの日々が続きます。

そんなとき、ココリコやロンドンブーツの仕事ぶりを見て、自分の中途半端な姿勢に気付きます。そこで心機一転、どんな仕事でも貪欲に取り組むようになり、徐々に仕事が貰えるようになっていきました。

現在は歌手としての才能を開花させつつあります。オリンピックの金メダル候補とまで呼ばれていたこの三四六。これからは、自分なりの人生の金メダルへ向かって、さらなる活躍をしてくれることでしょう。

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