カメジロー(瀬長亀次郎)の家族-息子や孫についてと映画の評判をチェック!

沖縄は共産党を代表する左派の勢力が強い地域ですが、その基盤を作ったのが瀬長亀次郎氏と言われています。

彼は太平洋戦争後のアメリカの統治下において日本共産党沖縄県委員会の前身、沖縄人民党を組織し、抵抗運動を行っていました。

当時西側諸国では米ソ対立の影響で共産主義勢力に対する恐怖が増し、アメリカを中心とする西側諸国では共産党員を公職などから追放するレットパージ、いわゆる赤狩りの嵐が吹き荒れていました。

そのとばっちりを食った形で沖縄でも沖縄人民党に対するアメリカからの圧力が強まっていたのですが、そんな中でも瀬長氏は果敢にアメリカへの抵抗を試みていました。

今回はそんな瀬長亀次郎氏の家族や息子・孫など、その後の様子についてまとめました。

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カメジローのプロフィール

カメジローこと瀬長亀次郎は明治40年(1907年)に沖縄県豊見城市で生まれました。家は農家で貧しく、カメジローが3歳の時には父親が出稼ぎでハワイに渡るほどでした。

上京~進学~逮捕

カメジローは医師を目指し上京。私立順天中学に編入し、その後現在の鹿児島大学へ進学。ただ医師を志す一方、社会運動に影響を受けるようになり、その社会運動を行った共産党員を匿った罪で逮捕されます。これにより放校処分を受け、どんどんと社会運動に傾倒していき、1932年には労働争議を指導したことが治安維持違反となり逮捕・投獄されます。後に召集され、砲兵として中国で戦争を経験。

瀬長亀次郎の家族

そのカメジローの家族ですが、妻は日本共産党の副委員長で衆議院議員も務めた瀬長フミさんです。

2人の間には瀬長理一郎千尋が生まれ、

孫には瀬長美佐雄(日本共産党・豊見城市議会議員)がいます。

前作「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」の評価は?

戦後の米軍の圧政にたった一人で立ち上がった男。それがカメジローです。米軍主導の「琉球政府」設立に抗議し、民衆を味方につけ戦い続けたのです。このカメジローの活動を映画化したのが「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」で、当時の米軍の横暴さや中央政府の無責任さがしっかりと描かれています。

監督は元TBSのアナウンサーの佐古忠彦さん。筑紫哲也のNEWS23で活躍したあの人です。

「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」の口コミ

口コミとしては「沖縄の隠された歴史がわかる映画」といったものや「カメジローの不屈の精神に勇気をもらった」というカメジローの生き様に共感するものが多くみられました。

この映画は元々2016年に放送されたテレビドキュメンタリー番組だったものを、監督となる佐古忠彦さんが編集や追加取材をして完成させたものです。映画は平成30年度文化庁映画賞や文化記録映画優秀賞などを受賞。高い評価を得ています。

「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」のキャストやあらすじ

映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」の続編として「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」が完成しました。

映画はカメジローが残した230冊以上の日記を丹念に調べ上げ、カメジローの家族やその生活、政治家としての活動などを前作以上に細かく、そして丁寧に描き上げています。

見所は当時の首相・佐藤栄作との激論シーンです。今なお、くすぶり続ける沖縄の問題がこの映画によって再びクローズアップされるはずです。キャストは語り手として役所広司さん、そして音楽は坂本龍一さんという豪華な顔ぶれ。監督はもちろん前作と同様に佐古となっています。

まとめ

米軍による「琉球政府」設立式典で、ただ一人最後列に座り、立ち上がらなかった人物、それが瀬長亀次郎です。全員が立ち上がり脱帽一礼する場でカメジローだけがそれを行いませんでした。

ここからすべては始まるのです。米軍に屈することなく沖縄を自分たちの元へ奪いかえすのだという信念を持ち、カメジローは生涯を戦い抜いたのです。今でも、地元ではカメさんと呼ばれ親しみと尊敬の念を持たれているカメジロー。

「カメさんに会いに来た」と映画館に足を運ぶ人も少なくはありません。リゾート地として毎年多くの観光客が訪れる沖縄。しかし、今の平和の陰にこうした人たちの戦いがあったことを知る人は少ないのです。

リゾート地として毎年多くの観光客が訪れる沖縄。しかし、今の平和の陰にこうした人たちの戦いがあったことを知る人は少ないのです。一人でも多くの人に、映画館に足を運んでもらい、そして平和の陰に隠された沖縄の真実を知ってもらいたいものです。

沖縄の闇

しかし彼の尽力にもかかわらず、貧困率が高いと言われている沖縄ですが、あれだけの振興予算を享受しながら、それが下にいきわたっていないという現実は、彼が望むところではなかったでしょうが、そのへんに沖縄の闇があるのかもしれませんね。

 企業にお金がないかといえば、そういうことではないだろう。県外からの参入障壁が高く、独占的な地位を確保している沖縄企業の利益は、好景気によってさらに増加している。「新しいことができない」「イノベーションを生み出せない」沖縄社会で、そのお金を投資に向ける企業が少ないために、企業内部にお金が蓄積されているのだ。

企業にどれだけお金があっても、経営者は周囲から浮き上がることを恐れて、従業員一人当たりの配分を増やそうとはしない。

沖縄タイムスより

とある経営者が時給を上げようとしたところ周囲から横やりが入ったという話もブログでは見受けられますが、あながちないとも言えない話のようです。

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