こんにちは。
演歌は小さいころにテレビで流れていたのを
聴き流す程度だった管理人です。
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川中美幸の名前は姿は知っているのですが、
いざ代表曲は何か?
と聞かれると言葉に詰まってしまいます。
これではいかん!
と思い立ち、
今回は彼女の経歴をざっと調べてみました。
Contents
川中美幸のプロフィール
名前・本名 | 川中美幸(かわなかみゆき)・山田岐味子(やまだきみこ) |
---|---|
生年月日 | 1955年12月5日 60歳(2016年3月現在) |
出身 | 大阪府吹田市 |
活動期間 | 1973年- |
レーベル | テイチク |
身長 | 158cm |
血液型 | B型 |
夫 | 山田一雄 |
趣味 | ゴルフ・鉄板料理 |
1973年–春日はるみでワーナー・パイオニアから「新宿天使」でデビューします。
youtubeより
が、
暫く鳴かず飛ばず状態が続きます。
演歌歌手の宿命といいますか、ミュージシャンの宿命と申しましょうか…
転機が訪れたのは3年後、1976年の毎日放送主催による「ネオン街音楽祭」でグランプリを受賞します。ネオン音楽祭ってネーミングが凄いですね。飲み屋のための音楽祭、といったところでしょうか?
この音楽祭の情報がないのでこれがどのように音楽活動へ影響したのかはわかりませんが、ある程度テレビやラジオへ露出されたのかと思われます。
しかしワーナー・パイオニアといえば大手ですが、その大手からデビューしてもいきなり売れるというものでもないようですね。
そんな状況に業を煮やしたのか、それともレコード会社との契約が終了したのか、春日みゆきさんはテイチク(帝国蓄音機商会)へ移籍します。
テイチクは石原裕次郎さんや淡谷のり子さん等の大物が所属し、また演歌にも強いというレコード会社ですので、栄転(?)だったのでしょうか?
そしてテイチクへ移籍したと同時に芸名を「川中美幸」へと改名し、以後今日まで至ります。
昔ハードコアパンクのGBHというバンドがテイチクから出ていた記憶があるのですが、そのせいかテイチクといえばパンクやメタルという印象がありました。しかしメインは演歌が売りだったのですね。
ミリオンセラー
しかしテイチクへ移籍しても3年ほどはパッとしない状況が続いたようです。曲に恵まれないという事もあったのでしょうか、デビューから数えて実に7年ほど低迷する事になります。
転機が訪れたのは1980年。文化放送の深夜番組「走れ歌謡曲」のパーソナリティへ抜擢されます。何が原因で起用されたのかはわかりませんが、突如の起用という事で俄然注目度が高まったのでしょう。
作曲家弦哲也(石川さゆり、石原裕次郎、五木ひろしを手掛ける)と超有名な作詞家のたかたかしという大御所コンビに曲を提供されます。
そして名曲「ふたり酒」がこの年に発売されてミリオンセラーとなります。
お笑いでも10年選手がザラにいる事を考えると、まあ、早いほうなのかもしれませんね。
紅白初出演
1981年-数多くの賞を受賞します。有線放送大賞をはじめ、レコード大賞金賞、フジテレビのFNS音楽祭通う音楽賞、等を受賞し、そして念願の第32回NHK紅白歌合戦へ初出場を果たします。
まさに当たり年と言った感じですね。そしてこの年以降断続的に紅白へ出場し、現在まで24回とその記録を伸ばしています。
ここ4年程は紅白へは出場していないので、また一つヒット曲が欲しいところですね。
2009年には大ヒットした「ふたり酒」を紅白で歌っているので演歌におけるヒット曲の息の長さには改めて驚かされます。
「ふたり酒」以外の代表曲としては、紅白で複数回歌われた「二輪草」や「金沢の雨」などがあげられるのではないでしょうか。
旦那の山田一雄
旦那さんは元関西テレビのプロデューサーの山田一雄(やまだかずお)さん。
同姓同名にクラシック指揮者の「山田一雄」さんと競馬評論家の「山田一雄」さんがいますが、もちろん別人です。
2000年–山田一雄さんは(当時42歳・美幸さんが44歳の時)覚せい剤取締法違反と大麻所持の現行犯で逮捕されます。山田さんはドラッグ関連グッズを販売しているお店でパイプを購入する姿を「たまたま」張り込んでいた刑事に目撃されます。
店を出た山田さんはその刑事に尾行され、自宅前で職務質問を受けた所、大麻の所持が発覚して逮捕されたとこう事です。
大麻を所持したままパイプを買いに行ったのでしょうか?
随分大胆な行動ですね。
当時は川中美幸さんの旦那さんという事で随分騒ぎになったようですが、その年の紅白へは「なにわの女」という曲で出場を果たしています。
苦労半身に寄り添い逢うて
夫婦善哉夢ごよみ
惚れたらあとはエーエー
あとは見えへん悪い癖
あんたひとすじあんたひとすじ
なにわの女灯火をともす「なにわの女」3番目の歌詞
http://j-lyric.net/より
こちらは3番めの歌詞なので実際は歌われなかったでしょうが、その時の状況を思い浮かべるとなんだか泣けてきますね。本人も当時泣きながら歌ったという事ですからその心中はいかほどのものか察せられます。
しかし夫が逮捕されてからも紅白へは2011年まで連続出場を果たしていますから、やはり何かしらの力が働いているような気がします。
というのは冗談で、それだけ人気があったという事でしょう。
旦那さんのその後
旦那さんは逮捕された翌日にテレビ局を解雇され、翌2001年の1月には懲役2年執行猶予3年の判決を言い渡されました。
なんとか刑務所へは入らずに済んだようで、その後の川中さんの連続紅白出場という事実を考えると、反省して家でじっと大人しくしていたのでしょう。
その後美幸さんは旦那の事に触れる機会もなく、離婚したという話もないのでひっそりと専業主夫でもして暮らしているのでしょうか。
以前にテレビ関係の仕事をしていた人間がそのまま大人しくなったとも考えにくいですが、そこは美幸さんがきちんと諭しているのではないでしょうかね。
「あんたの分までアタイが…」
なんて言ったかどうかはわかりませんが、現在58歳という旦那さんの年齢を考えるとマネージメント業務を手伝っているような、そんな気もしますが…
以上川中美幸さんのプロフィールと旦那さんの現在についてでした。