篠原ともえの再ブレイクの理由とは?台湾事件の影響で干された?

篠原ともえと言えばテレビに出始めの頃はかなり騒がしいキャラというイメージでしたが、最近の彼女はそんな印象はすっかりと影を潜めおとなしくなってしまいました。

年齢的なものもあるのでしょうが、その変わり様にはちょっとビックリ。

一体何が彼女にあったのか、憶測を交えて今回は再ブレイクの理由等を調べてみたいと思います。

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篠原ともえのプロフィール

名前・本名篠原ともえ(しのはらともえ)
生年月日1979年3月29日 37歳(2016年6月現在)
出身東京都青梅市
血液型AB型
身長152㎝
学歴文化女子大学短期大学部卒

実家は青梅市で「孝寿司」というお寿司屋さんを営んでいましたが、現在は閉店しています。

そんな寿司屋の娘にうまれた篠原さんですが、10歳ぐらいからデザインに興味を持ち始めたようです。

 

誰の影響ですかね?

詳細は不明ですが、その後小学4年の時にバレエを習い始め、中学に入ってからはバンドをはじめたといいますから、元々アーティスティックな才能があったのでしょう。

1994年-八王子工業高等学校応用デザイン科へ進学します。

1995年-石野卓球先生によるプロデュースでシングルデビュー。この時16歳ですからね。一番威勢のいい時に、変な物を扱わせたら日本一と個人的には思っている卓球先生の手にかかってデビューしたというところが、彼女のその後の方向性へ決定的な影響を及ぼしたとも考えられます。

ある意味間違った出会いだったのかもしれませんね。

まあ、そんな冗談はともかく

1996年-テレビへ出演し、その際のキャラが受けたのか以後各所から引っ張りだこに。まだ高校在学中ですね。

1997年-またまた卓球先生のプロデュースでシングルを発表。同時に高校も卒業し、戸板女子短期大学を受けるも、裁縫を学ぶために文化女子大学短期大学部へ再入学。

以後、女子大生キャラをつかいつつ、変なテンションや奇抜なファッションを売りに大ブレイクします。今あらためて彼女のPVを見ると早すぎたきゃりーぱみゅぱみゅといった感じですね。

おそらく私が彼女の事をよく目にしていたのはこの頃だったのでしょう。当時はダミ声のうるさいキャラという程度の認識で、あまり気に求めていませんでしたが、さりとて彼女が出たらチャンネルを変えるというほど嫌いなわけでもありませんでした。

タレント活動と平行してシングルやアルバムをコンスタントに出していた彼女ですが、2001年転機が訪れます。

 

台湾事件

2001年3月に台湾限定発売のVIRGIN DRINKS REMIXのプロモーションのために訪台。

その際に原因は不明ですが、入院してしまい、数々の憶測が飛び交います。

「酔ってホテルで暴れた」

「裸でホテルを抜けだした」

「深夜にホテルで大騒ぎ」

等という見出しが地元の新聞で踊ったそうです。

しかし真相は不明。

一説にはホテルの従業員が篠原の部屋へ侵入して暴行をしようとしたところ、篠原は抵抗してその際に衣服を剥ぎ取られて殴られた末に部屋から脱出したとも言われています。

帰国後の記者会見では「急性ストレス反応のため入院した」と説明し、泥酔説を完全否定しますが、気になるのがその会見でのマスク姿。

マスク

http://laughy.jp/より

これは実は折れた歯を隠そうとしてつけていたとも言われていますが…

そんなわけで以後急速にメディアからその姿を消し、再ブレイクしたのが2013年、古舘伊知郎の事務所へ移籍してからだと言われています。アルバムもこれ以降2010年まで発表していないので、何かしらの重大事が彼女の身の上に起こった事は間違いないでしょう。

 

再ブレイクの理由とは?

事務所移籍というのが一番の理由でしょうが、個人的には、ついに大人になったのでは?と思っております。あのはっちゃけキャラからの変貌ぶりは何か精神的なインパクトがないと説明がつかず、その精神的なインパクトとは実は1発目が台湾での件でしたが、未完成に終わったためその後に立ち直るのにかなりの時間を要し、つい最近そのトラウマを脱却した結果として今のおしとやかで晴れやかな篠原さんになったのではと暴走気味の妄想になってしまいましたが、聞き流してくださいね。

とにかく無事復帰を果たして最近はユーミンのツアー衣装を手がけたり、個展を開いたりとその元気ば姿を見せてくれています。

はっきりいって歳は取りましたが今の方が全然よいなという個人的な感慨ではあります。若いころより表情がイキイキとしている篠原さんは実に素敵ですね。

以上篠原ともえさんについてでした。

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