チリチリ頭にバンダナが特徴的な内藤やす子さん。
そのルックスと音楽性から、昭和歌謡の中でも特異な位置にあるなーと、思っていたのですが、今年でデビュー41周年を迎えるといいますから大したものです。
彼女については名前やルックスの印象しかなかったので今回はいろいろと調べてみることにしました。
Contents
内藤やす子のプロフィール
別名義 | 内藤やす子(ないとうやすこ) |
---|---|
生年月日 | 1950年9月28日 65歳(2016年7月現在) |
出身 | 神奈川県横浜市 |
身長・体重 | 155cm 42kg |
旦那 | マイケル・クリスティンソン |
学歴 | 豊島岡女子学園高校中退 |
血液型 | 不明 |
なんと、現在65歳なんですね!
暫く見ないうちに随分と歳をとったようで、年齢で言えばヨボヨボのおばあちゃんと言ってもいいのですが、さにあらず。
「金スマ」3月4日放送のゲスト・内藤やす子(左)と夫・マイケルクリステンソン(右) (c)TBS http://music-book.jp/より
若いですねぇ…
未だにバンダナですよ。
バンダナ。
もちろんチリチリヘアーも健在です。
デビュー
1975年に「弟よ」でデビューしますが、ジャケがこれ
アマゾンより
不敵な眼差しでじっと正面を見つめるこの写真を使うなんてレコード会社も思い切った事しますな。
1976年-「想い出ぼろぼろ」が大ヒットし新人賞をはじめ数多くの賞を受賞します。
アマゾンより
相変わらずジャケはシンプルです。レコード会社もどのようにして売りだせばよいのか分からないという感じですね。
音楽性は西城秀樹や郷ひろみ、沢田研二等に代表されるロック路線の歌謡曲ですが、ボーカルは幼少の頃に習っていた浪曲の影響なのか、小節の聞いた粘りけのある歌い方ですね。それ故に演歌、(当時はやっていた日本の)ブルースなんかの影響も垣間見れるほどにジャンル分け不能。有名ドコロでは山本リンダ、アンルイス、中島みゆきあたりと同じ様な香りがします。
幼少からデビュー、活動休止まで
話は前後しますが、生い立ちを軽く。
父、母共に浪曲師。家は新聞販売業。その影響で幼少の頃から三味線、長唄、そして柔道と数多くの純和風の習い事をさせられます。中学の時に二葉百合子(浪曲師)に弟子入りしますが3年で辞め、高校の時はロックバンドのボーカルへ転身。この時期に大麻へ手を出したそうです。
アマゾンより
浪曲からロックですからね、180度方向転換。一体彼女に何があったのでしょうか。親の躾が厳しいからそれに対する反発もあったのでしょうが、それにしても一応3年間は師匠のもとで修行していたのでそれほど飽きっぽい性格というわけではないようにも思われます。
一説には小学生の頃にジミー・ヘンドリックスにはまっていたとも言われているので、やはり自分の気持ちを押し殺して浪曲の勉強をしていたのでしょうかね。
しかしジミヘンのデビューアルバムは1967年に発売されているので内藤さんはこの時17歳。つまり計算が合わないんですよね。記憶違いか?
それでも髪型やバンダナは彼の影響でしょう。
それはともかく、高校を中退しているという事と師匠の元を飛び出した事とは何かしらの関係があるのかもしれませんね。悪い友達にそそのかされたとか。
その後24歳の時にスカウトされてデビューへと至ります。
割りと遅咲きの芸能界デビュー。
大麻で逮捕
高校の頃から大麻を吸引していたという内藤さんですが、1977年に大麻不法所持で逮捕されます。「想い出ぼろぼろ」が大ヒットした翌年ですからレコード会社もたまったもんじゃなかったでしょう。
この影響でしばらく(と言っても1年半ぐらいですが)芸能活動を休止します。
この事件は岩城滉一の覚せい剤所持をきっかけとして、ジョー中山、井上陽水、桑名正博、内田裕也、研ナオコ、美川憲一、にしきのあきら、上田正樹などが大麻所持で逮捕された一連の大麻騒動の一つ。私でも全員名前を知っているというほどの有名ドコロがズラリ。
清原~高知騒動ですらこれだけの騒ぎですからねぇ。当時どれだけ騒がれた事か…
そんな事があっても順調に曲を出し続け、1989年、1990年とNHKの紅白歌合戦に出場しています。
音楽活動
アルバムやシングルの発売履歴をみると1984年ぐらいまではアルバム、シングル共にコンスタントに出し続けているのでそれなりに順調だったのでしょう。(以後はベストアルバムが中心になります)
基本的に歌が上手いですし、歌唱方法や音楽性も独特なので競合する同業者の不在という事も長生きできた理由なのかもしれませんね。
因みにですが、同じく時代に左右されないミュージシャンとしては1970年代に活躍し、最近久しぶりにライブを披露した佐井好子さんがおすすめです。
佐井好子/萬花鏡 【CD】
|
1stアルバムの萬華鏡には、あの大野雄二さんが参加している事もあり、例の美しいストリングスが各所に散りばめられ、それを背景に歌い上げる裏声ぎみの怪しげなボーカルははまるとクセになりますよ。
特に同アルバムに収録されている「雪女」が個人的なオススメ!
イントロから大野節全開、そしてブルース調のギターが絡み合い、中間のストリングスとスキャットがたまらん!
大野ストリングス目当てでも買って損はしないと思いますよ。
結婚
1995年-21歳年下のオーストリア人の牧師マイケル・クリスティンソンさんと結婚します。あまり関係ない話ですが、ゴダイゴのベースだったスティーブ・フォックスさん(父がアメリカ人で母が日本人)も牧師さんという事を何故か思い出してしまいました。
馴れ初め?
この前金スマにお二人揃って出演されていましたが、なかなかに笑顔が素敵で誠実そうな旦那さんでしたよ。
残念ながら馴れ初め話は探しても見つかりませんでしたが、内藤さんも若いころのやんちゃぶりを今更に後悔してしまってある日教会へ懺悔をしに行き、そこで告白を聞いてくれた人が旦那だったという想像もできますが、おそらく違うでしょう。
すんません。
脳内出血で倒れる~リハビリ
2006年-55歳の時福島県でのディナーショー中に倒れ病院へ。約一ヶ月後に退院するも右半身がマヒする、記憶がなくなるなどの後遺症が残り、以後旦那の助けを得てリハビリ生活へ。
牧師さんの給料はあまりよくないらしく、介護をしながらの生活は結構きつかったようですが、それでも彼女を見捨てずに介護生活に勤しんだというのはやはり牧師ならではの利他精神の賜物なのか、それとも彼女を愛しているが故の献身性なのか…実に微妙な問題。
これだけで小説1本は書けそうな、そんな深いテーマです。
脳内出血とは
脳内出血とは文字通り脳内の血管が破損して血液が脳内に漏れる現象を指すようです。原因はストレスや運動不足、塩分やアルコールの摂り過ぎ、過剰な喫煙等と言われているらしいですが、高血圧の方に多く見られるとも言われれています。そして怖いのは前触れが全くなくて誰しもがかかる可能性があるという点です。
彼女の場合は日々のお酒やタバコの摂取が原因だったそうです。
復帰
2015年3月-復帰を諦めていた時、事務所の社長(小菅光雄氏?)が食事の席上で
「もう一回歌ってみないか?」
と彼女にいいます。
彼女の休業中10年も事務所に籍を残して置くのもすごいですが、社長の振る舞いもなかなか粋ですねぇ。よほど付き合いが長かったのでしょうかね。
事務所の名前はプロダクションオーロラ。
所属芸能人は以下のとおり
香西かおり
内藤やす子
徳永英明(業務提携)
エドアルド(非日系ブラジル人)
4人と(内1人は業務提携)いう小所帯の事務所ですが、香西かおりさんという売れっ子がいるので問題なかったのでしょう。徳永さんも病気で苦しんだ過去があるのでそのあたりの気持ちを察する事に関しては長けていたのでしょうか。
旦那の愛
兎にも角にも社長のその言葉に内藤さんは飛び上がるほど喜んで復帰を決意します。そして今迄苦労をかけた旦那によい生活をさせてあげたいという思いも復帰をきめた一因だったそうです。
が、
旦那は、彼女が自分自身で本当に歌手として復帰したいのならそれでもいい、つまり私の事より彼女自身の気持ちを大切にしてほしい、そしてマイケルさんとしては普通に生活をしていければよい、彼女とだったらどのような事があっても一緒にがんばって行けるだろう、なぜなら彼女愛しているからと、言葉をくくりました。
その言葉をやす子さんに伝えると、徐々に表情は崩れ、とうとうこらえきれなくて顔をくしゃくしゃにし、声こそ押し殺していましたが、子供のように泣いてしまいました。一言の言葉を発する事もできずに。ついでに私も釣られなき。歳をとると涙もろくなってのぅ…(ってそんな老齢でもないですが笑)
上のほうで偉そうに私も牧師だから利他精神の賜物とか言っていましたが、実は旦那は彼女を愛していたのですね。
この旦那や事務所社長、そして周囲の支えがあって65歳という年齢で復帰できた、その背景にははやり内藤やす子さん本人の人柄というのがあったのでしょう。
浪曲を目指すも挫折して高校も中退。大麻に手を出してロックにのめりこみ(当時ロックは不良の代名詞だった)酒タバコと不良街道をひた走りに走った彼女ですが、最近の表情を見る限りもはやそのような過去の不良時代の片鱗は見当たりません…
金スマ出演の翌日にはiTuneのダウンロードランキングで内藤やす子ヒットメドレー2016が首位を獲得したという。
夏には新曲も発表するという事なので、この勢いであと5年10年はいけそうな、そんな感じがしました。
以上、内藤やす子さんについてでした。