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Categories: 芸能

ロザンナは何故日本へ来たのか?子供たちは現在の様子は?

ヒロとロザンナというグループ名を聞いたことがあるでしょうか?

私はもちろんリアルタイムでは知らないのですが

昔の映像なら何度もテレビで流れているのを見たことがあります。

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そんなロザンナさんですが、何故日本に来たのか?

その辺の事情は意外と知られていないのではないでしょうか?

 

 

Contents

ロザンナのプロフィール

 

名前 ロザンナ・ザンボン(Rosanna Zambon)
生年月日 1950年7月3日
出身 イタリア
活動期間 1968年-1990年
血液型 O型

 

イタリア人の彼女が何故日本へきたのか

ロザンナさんが活動を開始したのは1968年(昭和43年)。

今から40年以上も前の話です。

当時は外国人が日本にいるなんて以上に

珍しかったでしょうね。

 

私もふと疑問に思ったのですが、

なんでわざわざ遠い日本へきたのか?

 

その訳は…

 

当時ロザンナさんの叔父さんが

赤坂のナイトクラブ「月世界」で演奏をしていました。

そのグループは頻繁にメンバーチェンジをしていて、

ある時女性ボーカルを起用しようという事になり

ロザンナさんに白羽の矢が立ったというわけでした。

 

ギターを弾く父と喫茶店を経営する程

社交的な母との間で育ったロザンナさんも

ビアホールでカンツォーネ(イタリアの大衆歌)を

歌っていました。

 

将来は歌手になろうと思っていたのか、

ロザンナさんもイタリアでは音楽院を卒業。

 

そんな時に叔父さんから東京へこないかと

言われて来日。

 

当時はキャバレー全盛。

各所に生バンドが多数存在していたので

確約の場は今とは比較にならないほど

多くあったのでしょうね。

 

1967年に来日。

当時17歳のロザンナ。

しかも「七つの子」という童謡を日本語で歌ってくれと

叔父から頼まれたのでローマ字の日本の歌詞を丸暗記しての来日。

 

以上が日本へ来た経緯です。

 

さらにもう一つの理由、というかこれは推測なのですが、

彼女の母親が喫茶店経営をしていてることは

既に書きましたが、そのお店が繁盛したのか、

事業を広げ過ぎてしまった挙句、スッテンテンになったとか。

そんな家庭の事情も関係しているのかもしれません。

 

 

その後出門英(でもんひで)さんとの出会いにより

ヒロとロザンナを結成。

デビュー曲のBの「愛の奇跡」が大ヒット。

 

その翌年、「愛は傷つきやすく」が

オリコンチャート1位を獲得し紅白初出場を果たしました。

 

当初日本での活動は半年の予定でしたが、ヒロとロザンナを

結成した事によりそれが伸び、さらにデビューシングルが

大ヒットしたことによって以後日本で活動する事となりました。

 

音楽好きの父親と、その影響を受けた娘。

東京で音楽活動をしている叔父。

ボサノバ歌手と活躍していた出門英。

全てが繋がった時にヒロとロザンナが生まれたと。

 

結婚~出産

そんな二人は結成から7年後の1975年2月に結婚します。

ロザンナさん24歳の時です。

 

不思議なのは7年も一緒にデュエット曲を歌っていて、

結婚まで7年を要したという事。

 

デビューシングルがいきなり大当たりしたので

即結婚という線も考えられるのですが、

 

やはり、右も左も知らなない、

故郷から遥か離れた国で暮らしていこうと

決心するまでに時間がかかったのでしょうか?

 

そんなモヤモヤとした思いが

晴れるまでに7年を要したと。

 

或いは絶頂期に結婚されては困ると

レコード会社の大人の事情が

あったのかもしれません。

 

子供たちについて

長男 加藤士門(かとうしもん)

1975年9月10日

職業は画家、音楽家。

学歴Cushing Academy(米国)卒。


http://heart-baton.cocolog-nifty.com/より

彼もまた両親の影響を受けて

ミュージシャンへの道を目指したのでしょうか?

 

いや、少々事情が違うようで

3歳の頃にドラムの生演奏を見て

ドラムを志したようです。

 

その後は自身がハーフという事から悩んだらしく、

アメリカの大学へ進学。

 

しかし

 

在学中に自身の出自について考える機会が

多くなったのでしょうか、

アイデンティティに目覚めて三味線を勉強します。

 

これはよく聞く話ですね。

海外へ行った日本人は今まで興味がなかった

自国について調べ始めるという。

彼もまたそんな一人だったのでしょう。

 

帰国後は作曲家、画家、デザイナーと各方面で活躍。


次男 加藤来門(かとうらいもん)

36歳

 

http://heart-baton.cocolog-nifty.com/より

兄と同じくミュージシャン。

こちらはミクスチャーと呼ばれるジャンルで

1990年代に流行ったロックの1分野。

ミクスチャーとは和製英語で日本独特の呼び名で、

内容はロック+民族音楽とかロック+ラップなど、

他分野と融合を図ったロック。

つまり基本的にはロック。

来門さんはsmorgas(スモーガス)というバンドで活躍

していました。

 

私が知っているミクスチャーロックの有名どころでは

Faith No Moreなんかが挙げられます。

こちらはThe Real Thingというアルバム。発売は1989年。
その来門さんですが、

順調に音楽活動に勤しんでいると思いきや、

2008年に大麻取締法違反で現行犯逮捕されてしまいます。

前年には離婚して実家に帰ってきて、

ロザンナさんにも相談を持ちかけていたようですので

寂しさの余り手を出してしまったのではないかとも

言われています。


長女 加藤万梨音(かとうまりおん)

1981年6月30日生まれ

34歳

身長168cm

 

モデルとして活躍していて、

母親とテレビで共演した事もあったようです。

2004年に一般人と結婚し、二人のお子さんが生まれました。


三人共にイタリア語はあまりしゃべれないという事ですが、

不思議な感じがしますね。

日本にいる限りは使う機会がないというのが理由でしょうが、

それにしても他人事ながらなんとなく寂しい気もしますね。

 

しかし子供たちにとってみればいくら親がイタリア人

だとはいえ、日本で生まれ育ったのだから、

「なんでイタリア語喋れないの?」

と言われてもチンプンカンプンなのかもしれませんね。

以上ロザンナさんとその子供たちについてでした。

 

サウダージ鈴木

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