横綱昇進が決定した稀勢の里。
そんな彼の親方である田子の浦親方の評判がよろしくない、
という事で、一体彼の周辺で何があったのかと調べてみました。
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四股名 隆の鶴伸一
本名 積山伸一
生年月日 1976年6月18日生 40歳
出身地 鹿児島県
身長 188cm
所属部屋 鳴戸部屋
血液型 B型
実家は理髪店を経営。
長男として生まれます。
1992年3月-初土俵。
2006年-30歳で引退。
奇しくも稀勢の里も今回30歳で横綱昇進を決めていますね。
最高位は前頭8枚目
幕内成績としては26勝45敗4休という事で、
あまりよろしくないのですが、
そんな彼が何故部屋を立ち上げることが出来たのか?
彼が田子ノ浦部屋の親方になった背景には
先代親方(隆の里)の死が関係していました。
話しを少々戻して…
隆の里は引退後は年寄・鳴戸を襲名し、鳴戸部屋を創設。
そんな鳴戸親方に稀勢の里はスカウトされ、厳しい稽古受けます。
それでも稀勢の里は親方の事を信じて猛稽古に励みますが
2011年-鳴戸親方が59歳という若さで急死。
当初、年寄株も持っており、かつ実績十分の若の里(40)が
引退して部屋を継ぐのではとも言われていましたが、
「現役」にこだわりそれを拒否。
そこで話が回ってきたのが現在の田子ノ浦親方(隆の鶴)という訳でした。
しかし本人は「やりたくない」と拒否するも、
よほど人材がいなかったようで、周囲が無理に親方に
仕立て上げてしまったとか。
一応彼が鳴戸部屋継承するも、その名跡の所有権は
先代の奥さんが握っており、相撲協会からその証明書の
提出を求められると、これを拒否。
理由は、実績もない隆の鶴(田子の浦親方)ではダメ、
という事でした。
つまり一応親方に収まった隆の鶴も、夫人の完全な了解の
もとに親方になっていたという事ではなかったようですね。
逆に言えば周囲の声(協会や後援会、タニマチ?)の発言力のほうが
勝っていたと。
という事で隆の鶴は空いていた田子の浦の名跡を取得し、
弟子を引き連れて独立。
このような経緯です。
周囲の人々が鳴戸部屋で育った力士たちの将来を案じ、
その結果傀儡として田子の浦親方が立てられたようですね。
先代の鳴戸親方がかなりの稽古熱心であったのに対し、
田子の浦親方は稽古中、弟子たちの前出「俺はAV女優と友達だ」
なんて自慢話を始めた事もあるとか。
http://www.asagei.com/excerpt/73556
話好きだった先代の真似をして
弟子達とコミュニケーションを取ろうという意図だったのでしょうが、
ちょっとズレていますね。
おそらく悪意はないのでしょうが、根が正直過ぎる傾向が
あるのかもしれません。
さらに、
稽古中に風俗専門誌を見ていたり、夜遊びが大好きだったりと
いう事もあり、稀勢の里はそんな親方とろくに会話もしない
状態なんだとか。
一応は親方ですが、
稀勢の里にとっては元兄弟子という事で歳も10歳しか離れておらず、
さらに、
かたや最高位が前頭、かたや横綱ですからね、
これで齟齬を来さないわけがない。
しかも親方は指導力0とも言われているので、稀勢の里の
心中は察する余りありますね。
私がひとつ引っかかったのは、「AV女優と友達だ」と
言った点。
なにかしらよろしくない筋とも関わりがあるようにも思ったのですが…
http://designmatch.ti-da.net/e7203385.html
リンク先には奥さんと宮古島のとある場所を訪れた時の様子が掲載されていますが、
この1枚の画像から察するに(ちょっと乱暴ですが)、とても気さくな感じで、
夜遊びが好きというよりは、単純に付き合いがよい人のような気がしてきました。
と考えれば、彼が嫌だといいつつ部屋を引き継いだり、
AV筋との付き合いがあったりするのも納得できます。
あくまでも想像ですが。
久しぶりの日本人横綱の誕生を願う協会、そして周辺の人々と、
「先代の名に恥じない親方を」との鳴戸親方の未亡人との間に
生じた思惑の違いに関した鳴戸部屋継承問題に
田子の浦親方や稀勢の里やその他の弟子たちが巻き込まれてしまったと、
そのような状況がなんとなく透けて見えてきました。
なにはともあれ、
不祥事が噴出しない事だけを願ってやまない、
そんな感じです。