今月24日、広島のホテルで森﨑浩司選手が引退記者会見を開きました。
なんと、球団始まって以来の記者会見とか。
森崎選手の表情は晴れやかで、「悔いはありません。」と断言していたそうです。
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ニュースの見出しには
「泣くことすら出来ない病」
との文字が。
ひょっとして引退の理由は病気?
と思い、調べてみることに。
Contents
https://www.sanfrecce.co.jp/より
生年月日 1981年5月9日生まれ 35歳(2016年10月現在)
出身地 広島県広島市
身長 177cm
ポジション MF
背番号 7
所属チーム サンフレッチェ広島
広島生まれ広島育ちの根っからの広島っ子。
野球が好きだったらやはり広島東洋カープへ入団していたのでしょうか?
という事はさておき、
小学2年生の時に兄とサッカーをはじめ、
1997年-広島市内の中学卒業後、高校進学と時を同じくして
サンフレッチェ広島ユースへ入団。
2000年-高校卒業と同時にサンフレッチェ広島へと入団します。
双子の兄がいるようですね。
https://www.sanfrecce.co.jp/より
こちらが双子の兄の和幸さん。
双子だからでしょうか、区別が付きやすいようにとの配慮からか、
髪型がかなり違いますね。
小さい頃から散々、
似ている、区別がつかない!
なんて言われていたのでしょうね。
同じくサンフレッチェ広島所属。
さて、森崎浩司選手がかかった病気とはどのようなものでしょうか。
調べてみると…
オーバートレーニング症候群
というものでした。
主な症状は
・慢性的な披露
ですが、長期化すると、
・不眠
・集中力の欠如
・食欲不振
・競技成績の低下
などに見舞われるそうです。
原因は肉体的精神的ストレスによる
分泌ホルモンのバランスの崩れが原因と言われ、
早期に発見し対処する事で長期化を防ぐ事ができるそうです。
ではいつからこの病気に見舞われたのかというと、
2009年の春の朝、彼の中にある焦燥感が激しくなり、身体が極端に重くなり、意識をなくした。気づいた時には生きる意欲すら、存在しない。「地獄でした」。浩司が振り返るこの5文字の状況は、ここに書いた出来事の何十倍の悲惨さ。
「普通の生活ができるように、なってくれれば」
当時、兄が語ったその言葉の意味が、わからなかった。
http://www.goal.com/jp/より
2009年にはこの症状に襲われていたという事で、
その後も断続的に2010年、2012、2013年と発症したそうです。
お兄さんの和幸さんが「普通の生活ができるように…」
なんて語っていたぐらいですからよほど悪かったのでしょう…
成績を見てみると、2009年には出場が3試合、
0得点と絶不調(前年は40試合出場14得点)
2014年以降に快復の兆しをみせたようですが、
出場機会は徐々に減り、2015年に至っては9試合。
記者会見においては明確な引退理由は語っていませんでしたが、
病気の影響で無理がきかない体になってしまったのか、あるいは
単純に年齢を重ねて体力が落ちたのか、両方共に考えられますが、
2008年からはJ2含め、年間優勝を4回もしているので、
「もうこれぐらいで…」
なんて思ったので
「悔いはありません。」
という言葉が出てきたのかもしれませんね。
因みに兄の和幸さんも2003年に慢性疲労症候群という病気を患って
苦しんだという事なので、遺伝的が関係があるのかとも考えられますが、
専門家ではないのでこのへんにしておきます。
記者会見では
「泣けるというのは素晴らしいんですよ。僕には、(病気のために)泣くことすらできない時期があったから」
ともおっしゃっていた森崎浩司さん、やはり病気の影響は大きかったようですが、同時に得るものも大きかったと語っていた姿が印象的でした。
以上森崎浩司選手の引退についてでした。