今年の5月1日でデビュー34周年を迎えた中森明菜さんですが、
彼女が戸籍を抜いたという記事を目にし「家族と何かあったのかな?」と疑問に思ったので
詳しくその事情を探ってみることにしました。
sponsoredlink
Contents
名前 | 中森明菜(なかもりあきな) |
---|---|
生年月日 | 1965年7月13日 50歳(2016年5月現在) |
出身 | 東京都清瀬市 |
デビュー | 1982年5月1日(シングル「スローモーション」発売) |
東京都大田区に生まれますが、母親が環境のよいところで子どもたちを育てたいと言い、清瀬市へ引っ越します。
父親は明男さん(82歳)で母親は千恵子さんです。兄妹は6人(男2人、女4人)で明菜さんは下から2番目の3女。
とりあえず今回に関しては以上のポイントを押さえておけばよいでしょう。
彼女の詳しい経歴に関しては既に各所で数多く語られているのでそちらへ譲りますが、あえてひとつ重要な出来事をあげるとすれば恋人であった近藤真彦との破局。1989年、つまりデビューから6年目に、明菜さんは当時付き合っていた彼の自宅のマンションにて自殺未遂を起こし、それ以後彼女の芸能活動は徐々に勢いを失っていきます。
彼女が中森家から最初に戸籍を抜こうと思い立ったのが、最愛の母である千恵子さんがなくなる(1994年6月10日にがんで他界)ちょっと前といいますから今から20年以上も前に遡ります。
当時明菜さんの事務所の人間が父親である明男さんのところを訪ねてきて、明菜さんが中森家の戸籍を抜けたいと言っていると伝えたそうですが、明男さんは本人から一度もそのような事を聞いたことがないといい、それを断ります。
その後、時期はわかりませんが、同じく事務所の人間が訪ねてきて中森家から自分の戸籍だけを抜いたという事を明男さんへ事後報告し、さらに後日彼女の持ち物を同じく事務所の人間が持ち運んだという事でした。
籍を抜くのは分籍といい、法的にはあまり意味がないといいます。あくまでも形式的な事のようですが、それでもそうせざるを得なかった事から、徹底して自分の痕跡を中森家から消したかったという彼女の執念や情念のようなものが伺えます。
それは何故か?
秘密は母親にありました。
明菜さんが歌手になろうとした動機は、母親である千恵子さんが若いころに歌手志望であり、その夢を「自分が叶えてあげるんだ!」というものでした。
明菜さん自身は芸能界への興味がなかったという事なので、自分の人生は全ては母親のため、と考えるとその母が死んだと同時に中森家への未練も切れたのかとも考えられますね。
明菜さんが父と最後に顔を合わせたのは母親の通夜だという事なので、もう20年以上も顔を合わせていない事になります。しかしながら母親の墓参りには来ているという事なので(菩提寺の住職)、やはり問題は明菜さんと中森家(父親)の間の事のようですね。
そんな娘の事を明男さんは別に恨んでいるふうでもなく、せめて死ぬ前に会いたいとすら言っていたという事でした。
つまり、明菜さん側の中森家(あるいは父親?)に対する一方的な拒絶というわけです。
一体明菜さんは家族の何が気に入らないのか?
ヒントは以下の言葉
「お母ちゃんは晩年がんになってね……。『家族の迷惑になるから』と家を出て一人暮らしを始めたんです。お墓のことも生前、お母ちゃんが自分から言い出したんですよ。千恵子は昔から『父親が眠る墓に一緒に入りたいから、中森家じゃなくて実家の墓に入りたい』って言ってね。最初は家族全員びっくりですよ。でも一度言い出したら聞かない性格ですから、最後は『お母ちゃんらしくっていいんじゃない』と家族会議を開いて決めたんです」
2014年6月20日付 女性自身より
一つ注意してほしいのはこれが父親である明男さんの言葉だという点。つまり明男さん側にとって都合の悪い情報はここからは読みとれないという事です。
それはさておき、少なくともこの文章からは、母千恵子さんが中森家を毛嫌いしているというよりは、実家の父親がとても好きで、そのために中森家のお墓には入らないと言ったという事が伺えます。母親も相当頑固な性格のようですが、形式的とはいえ家族会議(明菜さん除く)でも了承を得たという事は家族間トラブルによって母が中森家から出て行ったという可能性はあまり高くはないのではないでしょうか。
それを明菜さんが勘違いして家族の間(父親と母親?との間)でトラブルがあったから父親とは会わないのか、それとも本当に父親と母親の間にトラブルがあったのか…さて、どちらなのでしょうか。
さらに父明男さんの言葉によると、明菜さんと家族との間の亀裂の原因は
「私達(中森家)に明菜さんのお金を勝手に使われたと誰かに吹きこまれたせいなのではないか。」
という事でした。そしてそれを明菜さんが信じ込んだ結果、家にもよりつかなくなったという事ですが、明男さんの言葉を信じるとすれば、明菜さんのお金を使い込んだのは、そのような噂を吹き込んだ当の人物だとも考えられます。つまり家族のせいにして自分たちが使い込んだと。
さらに父親の言葉としてですが以下の気になる発言がありました。
母が入院していたときに明菜さんは一度も見舞いにこなかったと。その代わりと言っては語弊があるかもしれませんが、仲がよかった早見優さんは幾度も病院へお見舞いに来ていたという事でした。
これでは明菜さんが母と仲がよかったのか悪かったのかよくわかりませんが、一体どういう事なのか…
一つ考えられるのは全盛期から比べると明らかに凋落した(それでも人気はあるほうだと思いますが)自分が母親に合わせる顔がないとして、母の見舞いに行かなかったと言うこと。つまり輝いている自分を見せたかったのに、今の自分はそうでないがゆえに、若いころに歌手を志していて自分の成長を楽しみにしている母親に合わせる顔がないとして会いに行けなかったと。そのかわり親友の早見優に自分のメッセージを託して見舞いに行ってもらったという事が考えられますね。
そうすると、死後にお墓参りに行っていたという事実がすんなりと受け入れられます。
以上の事から私は源頼朝に讒言して弟義経を死に追いやった梶原景時のような存在が明菜さんの周辺にいるにではないかと思っていますが真相はどうなのでしょうか。
多分に想像が膨らみすぎた感じはしますが…
以上中森明菜さんの戸籍の件についてでした。