藤本健二(ふじもとけんじ)さんと言えば前の北朝鮮のトップだった金正日(キムジョンイル)総書記の料理人として有名でしたよね。
そんな彼が今月の半ばの金日成主席の誕生日に合わせて北朝鮮へ招待されて極秘に同地を訪れていた事が判明しまし。
そんなたいそれた情報が何故帰国間際になって公表されたのかは謎ですが、一度は北朝鮮からスパイ容疑で命まで狙われた藤本氏がどうして北朝鮮へ招待されたのかその理由をさぐってみたいと思います。
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名前 | 藤本健二(ふじもとけんじ)※本名非公開 |
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生年月日 | 1947年 68~69歳 |
職業 | 料理人 |
身長 | 162cm |
1982年-藤本健二さんは北朝鮮へと渡ります。まだ北朝鮮の初代最高指導者である金日成(キムイルソン)が権力の座にあった時です。
今とは比べ物にならないぐらいに危険な状態の時に板橋調理師会事務所の会長の紹介で彼の地へ行ったというのですからその行動も意味不明です。
何をわざわざ好き好んでと思いますが、当時日本円で月給50万円という高給に惹かれたと言っていますから、単純にお金の問題だけだったのでしょう。しかし当時北朝鮮にパイプがあった板橋の会長って何者だったんですかね?
1989年-金正日の専属料理人になります。理由は様々言われていますが、一般的には性格が素直で遊び好きであり、そして身長も金正日よりちょっと低い等の理由から気に入られるようになったと言われています。
そしてこれはちょっと陰謀論に片足を突っ込むような話ですが、金正日の父親が日本人だったという説があり、想像を飛躍させると、そのような要因も絡んでいるのかなと個人的には思っています。
残置諜者で検索すると出てきますが、畑中理(朝鮮名・金策)という陸軍中野学校(スパイ養成学校)出身者が金正日の父ではないかという説があるのですが、仮にそうだとすれば金正日がラバウル小唄等の日本の軍歌やその他歌謡曲を日本語で歌っていたという事実や、博打をするときに日本語で「勝負!」と叫んでいた等の説明がつきますね。つまり小さいころから日本語が自由に話せる環境下で育てられていたと。
因みに先ごろ亡くなった小野田寛郎(おのだひろう)さんも中野学校の出身です。
さらに金正日の愛人である高英姫(コヨンヒ・金正恩の母親)が日本育ちの在日朝鮮人というのも彼の日本贔屓を裏付ける事になるのではないでしょうか。
因みに高英姫さんは吉永小百合さん似の美人であり、整形歴があるとか。好きな歌手はXJAPANだそうですが、全然人物像がつかめませんね^^;
2004年-癌のため52歳という若さでパリの病院にて死亡。金正日総書記はその知らせに接し泣き崩れたといいます。
金正日総書記と藤本健二料理人のそのような良好な関係を見つつ育った金正恩さん。しかも母親も日本ともゆかりのある人物とくれば、彼が藤本さんに親しみを持たないわけがないですよね。
ですので今回北朝鮮に呼ばれた理由は政治的な駆け引きも何かしら有るでしょうが、それはやはり副次的な理由であり、単純に自分のルーツである日本における唯一気の許せる人物だからこそ彼を招待したのではないでしょうか。
敵対勢力を粛清した事からも分かる通り、周りはおそらく媚びへつらう人間ばかりであり、そんな状況に置かれれば小さいころの幸せな時代を共に過ごした人間の顔も見たくなるというのが人情ではないですかね。
プルーストの失われた時を求めてのように、藤本さんと話すことによって今はなき父と母の思い出に浸る、これが藤本さんを北朝鮮へ呼び寄せた最大の動機なのかもしれません。
金正日しかり、金正恩しかり、いくら内心で日本に対して好意的でもそれをあからさまに表明してしまっては軍から付け込まれる口実になってしまうので、国体としては日本にかぎらず諸外国へ対し強硬な態度を維持することが、軍事国家を維持し、そして自分の生命を維持するという意味で必須なのかもしれません。
北朝鮮の陰謀論に関してはいろいろとその手の本が出ているので興味が有る方は調べてみてくださいね。私も一時期興味を惹かれて調べたのですが、陸軍中野学に朝鮮人が在籍していて戦後北朝鮮へ渡り、現在の諜報機関の基礎をつくったのではないかという説が興味深かったです。
以下参考文献です。
【中古】 金日成は四人いた 北朝鮮のウソは、すべてここから始まっている! /李命英(著者) 【中古】afb
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陸軍中野学校秘史 [ 斎藤充功 ]
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以上北朝鮮へ藤本健二さんが渡った理由についてでした。