山口組との分裂騒動で抗争中の神戸山口組が熊本で震災ボランティアとして支援を行っていると話題になっています。
この件に関しては各人各様の見方があるのでしょうが、今回は何故危険な震災地へ神戸山口組がボランティアとして乗り込んだのか、その理由についてあれこれと考えてみたいと思います。
さらに現地での反応なども集めてみました。
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熊本で地震が発生したのが2016年4月16日。
その約1週間後の21日、ボランティアの受付が開始されます。
しかし神戸山口組はそんなルールは無用とばかりにいち早く現地でボランティア活動を行っていました。
今回ボランティア活動の中心となったのが熊本県に本部がある、神戸山口組の大門会という組織。同組織は2015年の山口組分裂騒動で山口組から離脱して神戸山口組へと合流しています。
そこの会長の清水達也さん(46)という方が今回のボランティア活動の中心人物。
震災が起きた翌日に同会長は神戸から地元の熊本へ帰ったといいますからその機動力はたいしたものですね。
そして全国の関連組織から送られてくる物資をリュックに詰め込んでバイクで組員に配達させるという、かゆいところに手が届くボランティアぶり。
清水会長は1995年に発生した阪神淡路大震災の時も山口組の5代目組長と一緒に震災地でボランティア活動をしたという実績があるので、今回はその時の経験がとても役に立っているそうです。
物資を届けるといっても被害をどのように把握しているのか気になりますが、そこはやはり組織力がものをいっており、知人などを介して不足している物資の情報が集まってくるのでより細かいケアができるという事です。
熊本の事務所では飲水も無料で配布しているという事で、近隣住民からもとてもありがたられています。
この看板を見てもおいそれとは入っていけそうにありませんが、それは安全圏に住んでいる私の視点なのかもしれません。当事者で本当に水がなくて困っていたら迷わずもらいにいくでしょうね。
このボランティア活動に対して見返りを求めているのでは?という意見も見受けらます。
山口組の伝統として救援活動とそれに対する見返りはセットになっているとは元刑事の飛松五男さんの言葉。
困った時に助けてもらった人々にとってはその後なんらかの形でお礼を返さなければという気持ちが沸き起こってくるのは自然な事なのでしょうが、いくら義侠心から助けられたとはいえ、相手が相手ですから一般人として彼らに対する気持ちは後ろめたさ半分怖さ半分というところが正直なところではないでしょうか。
つまりそのような人間の心理を計算してのボランティア活動だと…と、そこまで飛松さんは言及していませんが、これはどちらの気持ちが優っているとか劣っているとかは断定できない複雑な事例ですね。
背景にそのような思惑があるとしても、今まさに目の前で困っている人がいたら助けたいと思うのは自然な流れであり、ましてや故郷が被災してしまったらなお一層そのような想いが強く沸き起こってくるのではないでしょうか。
一言でいえば任侠、という事になるのでしょうが、
任俠(にんきょう)とは本来、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神を指す語。仁俠(じんきょう)、義俠心(ぎきょうしん)、俠気(きょうき)、男気(おとこぎ)などともいう。wikipediaより
その裏には今は廃れてしまった地域密着型の任侠システムの再構築という理由もあるのでしょう。復興支援を通じて地元の事業へ参入し見返りを得ると。
東日本大震災の時もそのような流れだったのですが、違法な労働派遣問題などで検挙された事例が多くあるのでそのへんのバランス調整が難しい所でしょうね。
ボランティアの時も大きくでて、その後の復興でも大きく儲けるという、いかにもヤクザらしい大胆さが伺えます。
オバマ大統領からもメキシカンマフィアと共に名指しで非難されてから警察の締め付けが厳しくなったヤクザ。反社会勢力として指定されているだけにその存在の評価はしずらいのですが、逃げ場を失った人達の受け皿になっているという点は多少なりともあるでしょう。韓国では犯罪を犯すとなかなか社会的復帰が難しいので神父さんになるといったケースが多いようですが、日本ではあまり聞かないですからね。(昔は僧兵なんかがそれにあたったのではないでしょうかね。織田信長にやられてしまいましたが。)
そもそもヤクザがボランティアへ行ったという事が話題になるという事自体が彼らへ対する偏見でもあるのですが、その裏には「反社会的勢力はボランティア活動をしないはずだ。してはいけない。」という縛りがあるのでしょう。つまりボランティアをするヤクザはその定義から外れてしまいますからね。しかしそこがまた実に痛快な点でもあるので、各所で記事に取り上げられているのかも?
社会秩序を維持するという意味においては反社会的勢力というものは決して容認できるものではありませんが、文学作品がこれほどまでに人々から愛されているとう点を考えると、それらの理屈では説明できな存在というのは決して消滅し得ないような、そんな気がしました。
以上神戸山口組とボランティアについてでした。