2015年6月22日シリアのイドリブ県へ潜入して以来消息不明だった安田純平(やすだじゅんぺい)さんですが、去る3月16日、彼を撮影した映像がフェイスブックへアップロードされ、その安全が確認されました。
ヒゲと髪が伸び放題でしたが、メモを見ながら英語で現在の心境を語る姿からは健康状態も良さそうにみえ、とりあえずは一安心というところです。
さて、そんな安田純平さんですが、何故危険な地帯へあえて踏み込んだのでしょうか?
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ジャーナリストでそれが仕事だと言われればそれまでなのですが、どうも何か腑に落ちないものがあったので今回は安田純平さんがシリア入りした理由をさぐってみました。
Contents
名前 | 安田純平(やすだじゅんぺい) |
---|---|
職業 | フリージャーナリスト |
生年月日 | 1974年3月16日・42歳(2016年3月現在) |
出身 | 埼玉県 |
学歴 | 埼玉県立川越高校~意図津橋大学社会学部 |
職歴 | 信濃毎日新聞~フリー |
活動歴 | 2003年~ |
男子のシンクロで有名な川越高校出身だったのですね。映画「ウォーターボーイズ」で一躍有名になりましたが、安田さんもシンクロの様子は見ていたのでしょうか?
その川越高校を卒業後は一橋大学へ進学。
1997年に信濃毎日新聞社へ入社します。新聞社では脳死肝移植問題等を担当。
2003年同社を退社してフリーへ。
入社から退社まで6年ですのでかなり早い時期で独り立ちを決意したようですね。会社に在籍中の2002年にも休暇をとってイラクへ取材に行ったほどなので、相当突き動かされるものがあったのでしょう。
2003年3月、アメリカを中心とする有志連合軍のイラクへ対する先制爆撃により戦いの火蓋が切って落とされました。
理由はイラクが大量破壊兵器を保持しているからというものでしたが、後に所持していなかったと判明します。
安田さんは開戦前の2月にはイラク入り。そして数度にわたって軍や治安警察に拘束されますが、その後無事に開放されています。
2004年-イラクで3人の人質になった日本人を探すためにイラク国内を移動中に武装組織に拘束されますが、この時も無事に開放されています。
この時に国内からはあの有名な「自己責任」という声が多数上がり、さらに一部メディアもそれに呼応してバッシングを受けた事を覚えていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。
つまり今回はおおまかに言えば3度目の拘束という事になります。以前にも何度も危険な目にあっているのに、何故また危険な地域にいったのでしょうか?
それでは何故安田さんはシリアへ潜入したのか?その理由を以下にいくつかあげてみましょう。
2004年に武装集団に拘束された安田さんは三日後に開放されますが、その理由が「ジャーナリストである事が分かったから」というものでした。
つまり武装集団側で彼を拘束したのは、もしかしたら彼がスパイなのでは?という理由からですが、その武装集団も地元の人間が外敵から実を守るために武装した程度、つまり民兵のような人達だという事でした。
おそらく私達がイメージする凶悪なテロリストという印象からかけ離れた、例えて言うなら商店街の人々が暴走族から身を守るために散弾銃で武装した自警団的な集団なのかもしれません。
そのような前歴があるので、話の筋さえ事前に通しておけば取材させてくれるだろうという思いを抱いてシリアのイドリブへ乗り込んだのかもしれません。
実は安田さんは2012年にもシリアへ入国し、反政府軍が支配する北部~中部の10都市を回っています。その時に現地で出来たコネクションを頼りに取材を進めようとしたのでしょうか。
シリアにおいては日本人の評判はすこぶるよいと、安田さんは2012年の記事に書いていました。対して中国人の評判は悪く、街で人に会っても「おまえ中国人か?」と何度も聞かれたそうです。そのような事情も多少はあったのかもしれません。日本人なら大丈夫だと。
因みに中国人の評判が悪いのはアサド政権に対する国連安保理でのシリアへの制裁決議に対して拒否権を発動したからそうですが、つまりこの事実からも以前に取材に行った地域が反政府組織が支配するところだったと考えられます。
こちらはBBCの記事に対する安田さんの反応ですが、ヌスラ戦線を賞賛はしていませんが、その短いつぶやきからは、いうほど悪くない集団なのでは?という印象を持っていたようにも受け取れます。
つまり仮に彼らの支配地域へ潜入したとしても悪い扱いは受けないだろうという考えが、ひょっとしたら頭の片隅にちょっとだけあったのかもしれません。
安田さんを案内したのはトルコ在住のシリア人男性。実は彼はジャーナリストの故・後藤健二さんとも知り合いで、しかも彼と後藤健二さんの二人はシリア国内の子供たちを支援する事業を始めたのですが、後藤さんが死亡したためその計画が頓挫してしまいます。
安田さんは彼にその事業を再開したいとも語っていたので、それもシリア入りした理由の一つなのかもしれません。
その後藤さんが消息を立ったのがイドリブ県の東に隣接するアレッポ県。
ウィキペディアより
ハイライトされた緑色がそうです。下の画像を見ていただければ分かる通り、この地域はIS(イスラミックステート)が大部分を支配しています。
後藤さんが具体的にアレッポ県のどの辺から潜入したのかはわかりませんが、見方によってはイドリブ県へ向かうためとも見れなくもないです。
http://www.businessinsider.com/より
つまり後藤さん安田さん共に同じような場所を目指していた可能性も考えられます。二
人共がにクルド人が支配する地域を迂回しているのは興味深い事です。おそらく彼らにたいするコネクションがなかったのでしょう。
さて、一般的な報道を見ると大部分が安田さんを拘束したのはヌスラ戦線では?という見方をしていますが、果たしてそうなのか検証していきましょう。
http://www.businessinsider.com/より
先ほどの画像ですが、左上の赤やピンクで囲まれた地域にidlib(イドリブ)と表記された場所があります。
この地域にはヌスラ戦線支配地域(赤色)と反政府軍支配地域(ピンク色)、さらにはクルド人勢力(緑色)が入り乱れていおり、トルコとの国境地域はちょうどヌスラ戦線が支配しているので、ここで拘束されてしまったのかもしれません。
http://www.aljazeera.com.tr/より
こちらはアルジャジーラからですが、やはりトルコとシリアの国境付近はヌスラ戦線の支配地域になっています。
CNNは今回の映像がヌスラ戦線からのもとだと言える決定的な証拠はないと言っていましたが、確かに言われてみればその通りです。
前出の安田さんを案内人に紹介した男性から、安田さんを拘束したのは実はヌスラ戦線ではないという情報が出てきました。
ソースは毎日新聞カイロ支局の秋山信一さんという方です。
彼の情報を交えて安田さんがシリア入りをするまでの様子を見ていきましょう。
2015年、安田さんはA氏(トルコ在住のシリア人)へフェイスブックを通じてシリアへ入りたいと打診。理由はイドリブ県の状況確認と前出の子供支援の事業再開をするため。
A氏は危ないからと引き止めますが、安田さんは短期間取材するだけだからと言いうのでA氏は案内人のB氏を紹介します。その時にA氏は忙しいので一緒にはいけないと言い、結局2015年6月22日の午後にB氏と安田さんの2名だけでシリアへ潜入する事になりました。
同日深夜、B氏から安田さんが拉致されたと電話がありました。(2015年12月25日時事通信)
時事通信の報道では具体的にヌスラ戦線という名称で出ていませんでしたが、3月18日の毎日新聞の記事によると、「安田さんはヌスラ戦線に拘束された」とあります。しかもB氏と二人で。
おそらくこの齟齬は秋山信一さんがA氏に取材した時に起きたものでしょう。以前の取材から2ヶ月程開きがあり、かつ安田さんと連絡が途絶えた6月からはさらに8が月以上の開きがあるので記憶違いという可能性もあります。
これ以降は毎日新聞のみの情報によります。
Aが不審に感じて後日Bを問い詰めると、犯行集団の男性Cの知人Dがブローカーの親族だった事が判明します。
つまり
A氏—案内人(B)—親族(D)—犯行集団の一人(C・親族とは知人)
と繋がるわけです。
つまり案内人と犯行グループは容易に連絡がつく状態で、Bが今回の拘束に加担していたとも考えられます。
その後A氏は直接犯行集団の一人であるC氏へ電話。
C氏は犯行を認めます。
犯行を認める供述を引き出したA氏の手腕は大したものですね。かなりのコネクションがあるか、よほどの事情通なのでしょうか。
さらにB氏は犯行グループから、ヌスラ戦線の名前は出さずにトルコの治安機関に捕まったと言えと要求されたとの事なので、この集団はヌスラ戦線に関係する集団、あるいはトルコにあまりよい感情を抱いていない集団なのでしょう。
ヌスラ戦線関係者へ取材した毎日新聞の秋山さんは、その関係者から「幹部へ問い合わせたがそんな事実はない」と言われました。
公式見解は出ていないものの、これで一応はヌスラ戦線の関与は否定される事になります。
解せないのはAさんは何故12月の時点(時事通信に記事がのった時)で秋山さんが取材した時のような言葉を発しなかったのかという点。
時事通信がヌスラ戦線に誘拐された点をあえて削除したのか、それとも今回はじめて秋山さんから突っ込んだ取材をされてA氏が詳細を語ったのか。
どちらなのでしょうかね。
…
以上で安田さんがシリアへ行った理由とヌスラ戦線に関する話題については終わりにしたいと思います。
以下はその他安田さんや今回の映像を見て私なりに感じた所を述べたいと思います。
戦場へ渡航するジャーナリストが後を絶たない中で安田さんは、その政府のやり方に憤りを感じています。
これはおそらく、2015年2月にフリーカメラマンの杉本祐一さんがシリアのクルド人勢力の支配地域の取材をするために渡航しようとしたところ、政府から渡航中止を求める電話があり、後にパスポートを没収された件に対する反応なのでしょう。
つまりイラクで捕まった際に自分が「自己責任」とバッシングを受けたことに対する皮肉交じりの返しなのですが、このツイートからは自分の取材活動の自由を妨げようとする政府に対する怒りや不信感が現れています。因みに安田さんは自己責任というものを否定した事はありません。
不思議なのはそのように政府へ啖呵を切っている安田さんが、今回公表された動画の中で、
私の国に何かを言わなければなりません。痛みで苦しみながら暗い部屋に座っている間、誰も反応しない。誰も気にとめていない。気づかれもしない。存在せず、誰も世話をしない。
http://www.huffingtonpost.jp/より
とメモを読み上げ、暗に政府が今回の件で動こうとしない事に対する牽制ともとれる発言をしています。
これが安田さんの意志なのか武装集団の意志なのかは不明ですが、動画を見る限り私には安田さんが何かをこらえてこのメモを読み上げているように思えました。
ここからはあくまでも私の想像なのですが、この安田さんの怒りの矛先は何処へ対してのものなのか?
1.文字通り、政府が自分に対して何もしていない事に対する怒り
2.政府に頼りたくないという自身の意志に反して武装集団から強制的に言わされている事に対するくやしさ。
以上の2点が考えられます。
1番目は邦人が海外で身の危険に晒されている時に国としてその生命を守る義務があるという事を放棄している事への警鐘とも受け取れます。憲法でも人権の尊重を謳っているので、そのような意味では憲法違反にあたると。ただし、政府や外務省関係者等も水面下で情報収集等を行っているので、そのような意味では何もしていないとも言えない事になります。それが報道されるかされないかの違いであり、かつ、生命に関わる場合はその進捗状況もうかつにマスコミへ漏らす事もできないし、ましてや間違った情報を流す事なんてもってのほかと、その情報の公開に慎重になる姿勢は理解できます。
一方、そのような情報が出てこない以上、政府が「何もしていないように見える」のも当然という事もまた同時に理解出来ます。
しかし結果が出ていないのは何もしていないのと同じことだとの言い分も成り立ちますね。
また、憲法の制約があるので目に見える形として、人質救出の為に自衛隊の特殊部隊を現地に派遣(その成功の可否はとりあえず置いておいて)するわけにもいきません。
つまりどちらか片一方に認識をとるか、その多岐にわたる認識を並列的に受け止めるか、それはもはや個人の趣味に属する事なのでしょう。つまりカレーが好きなのかラーメンが好きなのかと。
安田さんの一連のツイッターの発言から察すると2番目の可能性が高そうですが、「誰も気に留めていない、気疲れもしない…」以下の下りをみると、もう一つ、戦地での状況を真剣に見ようともしない日本人に対する怒りという風にも捉えられます。
しかし日本語にするとピンとこない文章ですね…
以上長々と書いて最後にいうのもなんですが、単に憔悴しているか緊張しているだけなのかもしれないので話半分に聞いてくださいね。 🙄
様々な人が様々な視点に立って戦地を報道していますが、私にとってはどれも今ひとつピンとくるものがありませんでした。
そんな中で私が面白なと思った人物が横田徹さんという戦場カメラマンです。
戦場中毒 [ 横田徹 ] |
インタビューを読んでの感想ですが、なかなかユニークな人だなと。その詳細には触れませんが、中でも意外に思ったのが戦場よりも交通事故で死ぬ海外特派員が一番多いという点。イラクあたりだと道路があまり整備されていないにもかかわらず車で150km以上は当たり前に出すそうです。
自分が読んだ時に面白いと思えるかを基準にしました。この業界は自分のやっていることに酔っている方が多く己をカッコ良く描きがちです。自分を正義の味方として書くなんて恥ずかしい。
中略
近年はワクワクするような本がないじゃないかと。書き手のイデオロギーが固まってるような最初から内容が分かるようなそういう話ばっかり。それで、自分が書く時に、そういうものではなく、かつて自分が面白いと思った本のような作品を書きたいというのがあったんですよ。
http://r-zone.meより
正義の味方を気取らず、イデオロギーにとらわれない。実に痛快ではありませんか。
横田さんの著作「戦場中毒」というのはそんな世間の戦場カメラマンのイメージに対する皮肉なのでしょう。
世の中にはこの視点が欠けていて(或いは不足していて)、それが戦地やその戦争の原因を探ろうとする人の視線を善悪論、自己責任論や政府責任論へとそらせているような、またはすり替えているような、そんな気がします。
以上蛇足でした。