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こんにちは。
アイドルはあまり詳しくないけど、
一応チェックはしている管理人でございます。
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最近はBABYMETALばかり聴いていますが、この春にはやっと2枚目のアルバムが出るので楽しみです。
え?ベビメタはアイドルじゃなくてメタル?
そのへんを詳しく語るととても面倒な事態になるような気がするのでこれまでにしたいと思います。
という訳で今回は元おニャン子クラブの生稲晃子さんの旦那さんや子供、そして心理カウンセラーとしての活動について調べてみました。
まずは生稲晃子さんの経歴から…
名前 | 生稲晃子(いくいなあきこ) |
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生年月日 | 1968年4月28日 47歳 (2016年2月現在) |
出身地 | 東京都小金井市 |
血液型 | B型 |
デビュー | 1986年 |
配偶者・子供 | 佐山智洋(さやまともひろ) |
事務所 | プロダクション尾木 |
資格等 | 日本推進カウンセラー協会認定 心理カウンセラー・メンタルトレーナー |
プロフィールで目を引くのは「心理カウンセラー」の資格を取ったという点。私は今初めて知りましたが、実は生稲さんはもともと堅実な正確だったようで1987年におニャン子クラブが解散後には恵泉女学園短期大学へ戻って勉強し、ゆくゆくは学校の先生になりたいと考えていたようです。
それで心理カウンセラーの資格を取得したのですね。なるほど。
しかし解散後もうしろ髪ひかれ隊がヒットしてしまい。芸能活動を続けることに。その後もドラマやバラエティなど各所から引っ張りだことなり結局芸能界にとどまる事になります。
うしろ髪ひかれ隊が当たらなければ、学校の先生になっていた可能性があったという訳ですね。
2003年-佐山智洋さんと結婚します。
佐山さんは元々CM制作会社のプロデューサーだったとの事ですが、生稲さんとはやはり仕事がらみで顔を合わせる事が多かったのでしょうかね?そのへんは不明ですが、気になるのが生稲さんの年齢。
この時生稲晃子さん35歳。
3年後、つまり38歳の時に長女を出産しているので、結婚に踏み切った理由としては子供の事もあったのかとも思われますね。
「さやまともひろ」
彼に関してはあまり情報がなく年齢も不明ですが、彼の経営する会社情報ならありました。
株式会社Mahalo
設立2008年3月7日
業務内容:
1:芸能プロダクションの運営業務
2:企業広告の企画、制作
3:国内、国外のウェディング映像の企画、制作
4:アパレル製品の企画、製作、販売
5:飲食業の経営 (鉄板焼き・佐吉)
設立が2008年ですから娘さんが生まれて2年後。子育ても落ち着いたので何かしよう、と思い立ったのでしょうか。
事業内容は芸能関係とブライダル映像制作、アパレル関係と鉄板焼き店の経営です。
わりと手広くやってらっしゃいますね。アパレルと鉄板焼き屋は誰かに誘われたのでしょうか?
生稲晃子のお店鉄板焼 佐吉 六本木店
住所:東京都港区六本木7-9-3
電話番号:050-5799-6766
地下鉄大江戸線を出てすぐですが、大江戸線って相当深く潜っているので地上へ出るまで結構時間がかかるので急いでいる場合は注意が必要です 立地は最高ですね。六本木の交差点からすぐのところにあります。乃木坂駅からも近いですね。
そして店の前はこんな感じ。大通りから一本道に入るので割りと静かそうです。左上に看板が見えますね。
2006年3月18日に娘さんが生まれています。
名前は遥香(はるか)ちゃん。
現在は10歳という事で小学4年生ですね。
通っている学校が東洋英和女学院というところらしく、場所はテレビ朝日の近くで、鉄板焼きのお店からも車であればすぐのところにあります。
お店の経営もあるのでそのためにこの学校を選んだのでしょうかね?学校の場所が場所だけにもしかしたら将来芸能界へ入れるという考えがあるのかも?
そして2007年にはカウンセリングの勉強をするためにハートフルライフカウンセラー学院にて認知行動療法を学びます。
元々学校の先生になりたかったという生稲さんはここにきてようやく念願の勉強を再開する事が出来たようです。その決意をさせたのは何か?
生稲さんはインタビューにも娘が生活の中心と答えているのでカンセラーの道を歩むきっかになったのはやはり彼女の存在が大きかったのではないでしょうか。これからの娘の人生に少しでも役立つようにと学び始めたのかもしれません。
「心豊かな生活を、一人でも多くの人々と共有したい!そのためにも、悩みに苦しみ、耐えている人の力に少しでもなれたらという強い思いから、カウンセラーをめざしました。」 ハートフルライフカウンセラー学院より
子供が生まれた翌年に勉強を始めているので、出産によって何かを触発されたような気がします。どのような想いがあったのでしょうかね?
それでは生稲さんのカウンセラーとしての仕事はどうなのかというと、当初は「メールカウンセリング」のみを受け付けていたようですが、現在は休止状態。
おそらくがんの発病と関係がありそうですが、これだけのビックネームなので相当混乱したとも予想されます。
現在の状況を考えると暫く復帰は難しいのではないでしょうかね。
ですのでカウンセラーとしての活動歴はおそらく極短期間だったと思われ、彼女のカウンセリングの評判については情報がありませんでした。
そして2011年にがんと診断され、2015年までに5回の手術をしています。今後も予断を許さない状況ですが、手術の合間にはテレビへも出ているので、活動意欲は旺盛のようですね。そして娘さんの事もあるので、ひょっとしてそれが彼女の一番大きな支えになっているのかもしれません。
今後この体験やカウンセリングの勉強を活かして同じがん患者を支える活動をしていくような、そんな感じが致します。
以上生稲晃子さんと家族についてでした。