佐々木健介と北斗晶夫妻といえば、芸能界の中でもその熱々ブリで注目されていますよね。2015年には奥さんが乳がんにかかり一時はどうなるかと思いましたが、無事手術は成功。今は頻繁にブログを更新し、各テレビ局からも引っ張りだこで元気な姿を私たちに見せてくれています。
彼女のブログを見たことがない人は是非一度覗いて見て下さい。パワーがもらえますよ~
さて、そんな二人の馴れ初めは実に意外な場所だった!?
と聞いたらどのように思いますか?
そんなのリングに決まってるじゃん、と即答されそうな気もしますが(笑)、それはさておき、二人は意外というか、かなり予想外の場所で知り合ったそうで…
という事で、今回はそんな二人の馴れ初めや、二人を引き合わせた人物、そして子共達について紹介したいと思います。
Contents
ズバリ!
二人の馴れ初めの場所は…
北朝鮮でした!
え?
と思う方もいるかと思いますが、
プロレスの事を少しでも知っていれば、これは不思議でもなんでもなく、当然と言えば当然の事なんですよね。
その理由は…
アントニオ猪木絡み。
です。
http://president.jp/より
では、アントニオ猪木と北朝鮮との間にどのような関係があるのでしょうか?
それは…
アントニオ猪木の師匠、つまり彼がプロレスを教わったのが、戦後の日本プロレス界を引っ張ったあの力道山であり、その彼が日本統治時代の北朝鮮生まれで、(両親が朝鮮人)だったからです。もっとも当の力道山は戦後帰化して日本人になりましたが。(帰化に関してはきな臭いエピソードもありますが…)
アントニオ猪木はその師匠のルーツを探るうちに次第に北朝鮮と強い繋がりを持つようになったと。
その他にもここでは書けない、彼が北朝鮮外交にのめり込んだ理由に関する、知る人ぞ知るかなり危うい噂話もあるのですが、さすがにそれは本当かどうかもわからないので割愛させて頂きます。
という訳でアントニオ猪木は、師匠の生まれ故郷北朝鮮と日本の架け橋になりたいとの熱い想いを抱き、引退後の1995年、彼主催で「スポーツと平和の祭典」を北朝鮮で開催します。
当時は冷戦崩壊後間もなくという事もあり、世間からの風当たりは相当厳しかったでしょうが、そんなことにも負けず、多くの選手を引き連れ北朝鮮へ訪れたのですが、その選手団の中に、佐々木健介と北斗晶が参加していたのです。
http://kuropon-celebrity.com/より
おそらく普段は男子プロレスラーと女子プロレスラーの交流などないのでしょう、健介さんは北朝鮮でともに試合をした晶さんに一目惚れしてしまい、帰国後即効でプロポーズをし、6月4日に入籍。
北朝鮮での試合が4月28日、29日なので、出会ってから1ヶ月強というスピード婚。
そして3年後の1998年11月6日には長男健之介君が誕生し、2003年3月1日には次男誠之介君が誕生します。
https://matome.naver.jp/より
これだけのスピード婚にもかかわらず、今まで夫婦間にこれといった離婚騒動も持ち上がらないというのはよくよく考えてみれば驚異的ですが、よほど相性があったのでしょう。
二人の息子達もすくすくと育ち、家族揃っての元気な笑顔をネットなどで見かけますが、端から見ている分にはかなり幸せそうに見えます。もちろんネガティブな噂も多々ありますが、プロレス引退後の第二の人生においては間違いなく勝ち組の部類に入るでしょう。
もっともその裏には奥さんの内助の功がある事も忘れてはいけませんが、ひょっとしたら恐妻家と見せかけて亭主関白だったりしたら面白のになとも思ったのですが、まあ、それはないでしょうね。
という事でこれからも末永くお幸せに!
以上、佐々木健介と北斗晶の馴れ初めについてでした。