香川智子(知子?)のプロフィールや馴れ初めを調査!離婚の理由とは?

香川照之さんが離婚しましたね。

私は今朝方のテレビニュースで知ったのですが

理由は夫婦間のすれ違いだったとか。

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離婚まで2年間話し合ったという事なので、
お互いに相当な葛藤があったんですかね。

それとも慰謝料や養育費で揉めたのかな?

という事で離婚の背景や夫人、智子さんについて
調べてみたいと思います。

香川智子のプロフィール

まずはじめに夫人の名前なのですが、あちこちのサイトでは
「智子」での表記が多かったのですが、スポーツ報知の
記事では「知子」となっていました。

検索してみると「智子」のほうが多かったので、
ここでは「智子」と表記します。

智子さんは元日本航空国際線のCA(キャビンアテンダント)、
つまり昔風に言えばスチュワーデス。

1995年12月7日-香川照之と結婚。
つまり照之さんが30歳の誕生日を迎えたまさにその日に入籍しています。

智子さんの年齢は不明ですが、照之さんの年下と考えると、
現在は40代後半ぐらいでしょうか。

画像は一切出回っておらず、容姿は不明。
現在は梨園の妻なので、あいさつ回りなどで
あちこちに姿を晒していると考えると
1枚ぐらい写真があってもよさそうなものですがね。

馴れ初め

馴れ初めは不明ですが、香川照之さんは
智子さんとの結婚前に、別の女性と結婚を約束
していたという、なんともいい難い事実がありました。

お相手は歌手の冴木杏奈さん

http://kosatsu-diary.com/saekianna-4249より

現在53歳。つまり年上。
香川照之さんが結婚した当時は32歳ですね。

彼女は香川さんとの結婚に備えて所属事務所を辞めている
のですが、その後にちゃぶ台をひっくり返すようにして
香川さんは智子夫人との結婚を発表。

これにより当時マスコミはてんやわんやで、
二股報道まで出たそうです。

できちゃった結婚かな?とも思いましたが、
第一子が生まれたのが2004年1月16日なので
違いますね。

離婚の理由

離婚の理由はすれ違い。

各所の記事によると照之さんはこの6年間、休み無しの日々を
送っていたそうで、それ自体は別にいいことなのですが、
その代償として夫人とゆっくりする時間が取れなかったようですね。

実はこの6年というキーワドがミソで、

2011年には長男の政明君と親子で歌舞伎界入りをしています。

つまり、この歌舞伎界入りがどうやら離婚の原因に
なっていたようです。

歌舞伎界へ入れば関係各所へのあいさつ回りが欠かせませんが、
今まで俳優の夫人として過ごしてきた夫人にとってみれば
まさに寝耳に水。

急にあいさつ回りなんて出来なかったのではないでしょうかね。
それでもやらないわけにはいかない。

そして神経をつかう日々にとても耐えられず、
かといって旦那に相談するにも、彼は売れっ子俳優兼、
歌舞伎役者としての活動で大わらわ。という事を考えると、
そんな時間もあろうはずもなし。

夫人の悩みを親身に聴いてやれなかったところに主因が
あるような気がします。

45歳にして何故歌舞伎界へ?

しかし何故照之さんは45歳で突然歌舞伎界へ参入したのでしょうか。
ご存知の方もいらっしゃるとおもいますが、これには彼の父親が大いに関係
していたのです。

最後、以下割りと長めですが。

父と母と藤間紫

父は三代目猿之助
母は浜木綿子

1965年に二人は結婚。
1968年-離婚。

離婚原因は旦那の浮気。
相手は猿之助さんの師匠の藤間紫さん。
しかも16歳年上。

彼女は当時既に人妻で2児の母。
照之さんが生まれて1年は後に彼女の元へ
走って同棲生活をしたといいますので、
長年の憧れの人と一緒になった、
と言ったほうがよいかもしれませんね。

藤間紫さんの旦那は6代目藤間勘十郎。
こちらは1985年に正式に離婚している、
つまり猿之助さんと同棲をしつつも、
約20年に渡り勘十郎さんとの婚姻を
解消しなかったという、よくわからない
関係です。

結婚後間もなく家でをして子供と旦那がいる
人のもとへ走られた、当の浜木綿子さんは後に

悔しくて、悔しすぎると涙が出ないのよ。大声で叫びたいと何度も思ったわ

と当時の心境を語っています。

父への想い

自分を捨てたとはいえ、実の父にはかわりがない。
そんな想いを抱きつつ、香川さんは25歳の時に
父親へ挨拶へいきましたが、

大事な公演の前にいきなり訪ねてくるなんて
役者としての配慮が足りません」

「すなわち、私は家庭と訣別した瞬間から蘇生したのです。
だから今の僕とあなたとは何の関わりもない。
あなたは息子ではありません。
したがって僕はあなたの父でもない。」

「あなたとは今後、二度と会う事はありません。」

と事実上の門前払い。

しかし、この言葉の裏には

「生きるも死ぬも身一つで僕はあえて一人でやってきました。
だから照之も役者の道を貫きたいと思うなら私の事を父と思うな。
何ものにも耐えうる独立自尊の精神でいきなさいと。僕としては
至極当然の事を言ったつもりなのですよ。」

2013年1月放送NHKスペシャル

との意味が込められていたようです。

その父の真意を汲み取ったのかどうかは分かりませんが、
おそらく若かった事もあり、文字通りに解釈し、ひたすら
役者の道を邁進。

父との和解

その後2003年猿之助さんが脳梗塞で倒れた後、藤間さんから
「もういいんじゃない」と言われ、照之さんと和解したようです。

と、長くなってしまいましたが、そのような事情があったので
40過ぎにして異例の歌舞伎界進出という道を選んだようです。

自分が歌舞伎へ身を置く事により、
父と母の間を取り持ちたかった、

との想いが根底にあり、歌舞伎の世界へ。

それが今度は離婚に繋がったのですから、
人生とはなんとも不可思議な代物ですね。

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