戦場カメラマン渡部陽一の今の奥さんは?死んだってマジ? 

いきなりですが、カメラのボディが黒い理由ってご存じですか?

正解は…

戦場で狙撃されないため、だそうです。

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私は全共闘世代の知り合いのカメラマンから聞いたのですが、ベトナム戦争当時、従軍記者のカメラのボディに光が反射して敵から撃たれることが多かったそうです。そのために自分でカメラのボディを黒く塗ったのがルーツだとか。

因みに戦場カメラマンって聞こえはいいですが、海外では借金で首が回らなくなった人達が多く行く所と相場が決まっているという話も聞きました。日本人は酔狂な人が多いのか必ずしもそうではないという事です。かなり以前に聞いた話なので今はどうかわかりませんが…

という訳で危険が伴う戦場カメラマン。

日本人の私達にとってはやはり渡部陽一さんが念頭に浮かぶのではないでしょうか?メディアへの露出も多いですしね。

そんな渡部陽一さんにあらぬ噂が…

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死んだ?

死んだ?

死んだ???

はぁああああ?

という訳で何故かヤフーの検索欄に「死んだ」というキーワードが表示されていたので、今回はその原因をさぐってみようと思います。

はぁ?(しつこい)

渡部陽一のプロフィール

名前 渡部陽一(わたなべよういち)
生年月日 1972年9月1日 43歳(2016年3月現在)
出身 静岡県富士市
学歴 明治学院大学法学部
血液型 A型
身長・体重 180cm 65kg

死んだという噂

さて、早速本題です。

何故「死んだ」というキーワードが浮上しているのか?

早速クリック!

ポチッ

うーん…

どれも同じようなソースで同じ様な反応をしていました。

元ネタはこちら

「昨年はシリアやアフガニスタンに行って、本来の取材活動もしていますが、今は日本にいます。主に小学校、中学校、高校や企業で講演会をやっているんです。現地で見たこと、聞いたこと、各国の文化を伝えています。東京だけじゃなく、日本全国を回っています。写真展をやったり、一時期に比べたら回数も減りましたが、スケジュールが合えばテレビにも出ると思います。まあ、なかなか合わないですが。今の仕事の割合は講演会が多いと思います」

中略

世界の紛争地域の「今」を写真に収めるのが戦場カメラマンの本分だが、渡部氏は講演会で「安全最優先で動いています。家族が第一、仕事は第二」と話している。

こちらは2014年の記事なのですが、最近は戦場へ行かず講演活動をしていたようです。さらに…

「安全最優先で動いています。家族が第一、仕事は第二」

という事なので、もはや危ない戦地へ行っている場合はないようです。子供でも生まれたのですかね? それは後ほどの話として…

ここから何故「渡部陽一 死んだ」と関連キーワードが出てきたのか?一定の需要がないと検索されないことから…

一時期に比べるとテレビへの出演回数が激減したので、それを心配した人達が「もしかしたら、戦場で流れ弾にでも当たって死んでしまったのでは?」とネットを検索した結果、

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ヤフーより

このような結果になったと。

通常の場合、例えば1発屋の芸能人が消えたとしますよね、

ダンディ板野さんみたいに。

彼の場合だったら「今頃何やってるのかな~?」で済む所が渡部陽一さんの場合はその職業柄、「もしからしたら死んだの?」という事になったのではないでしょうか。だとしたらいい迷惑、というか大きなお世話ですね。

あ、ダンディさんですが、今でも地方営業で仕事をこなしていて年収数千万円という話も聞きます。一応。

現在

ツイッターを覗くと頻繁に各国の情勢(主に軍事関係)をつぶやいています。現在では戦地情報リポーターといったところでしょうか。

これ、さらりと書いていますけど、特殊部隊とはいえ、アメリカが地上軍を投入したという事ですからね。ビッグニュースですよ。

このように大きなネタを拾ってきてつぶやいているのが現在の活動の一部です。戦地に行っているかどうかはわかりませんが、取材はしているようですよ。

その他にはレギュラー番組として、NHKのアラビア語講座やラジオ番組、TBSのNスタ(不定期)、昼めし旅?あなたのご飯見せてください!?(ナレーション)、ラジオ番組等の仕事をしているようです。

渡部陽一

http://ameblo.jp/yutaka-hasegawaより

因みにあのスローな喋りは日本語だけなのか?と気になったのでアラビア語の映像を探したのですが見当たらなかったので英語を喋っている姿を挙げておきます。

日本語ほどではないですが、やはりゆっくりとしゃべっていますね。それも相手の目を見ながら真剣に。いつでも全力投球のようです。

一方、パックンは途中から飽きがきているようで、膝頭をかいたりなんかしているのですが、相手が真剣な分、どうにもできないようですね。

奥さん

一般の方のようです。馴れ初めは不明ですが、奥さんを見た瞬間一目惚れした渡部さんは、奥手だったのでなかなか自分から告白できずにいたのですが、思い切ってデートに誘う事に成功します。

奥さんのほうもまんざらではなかったのでしょうね。

横浜の馬車道というところにあった横浜東宝会館(現在は閉鎖)でもののけ姫を見て食事をしたそうです。

その数年後に告白。

さらにその数年後にプロポーズ。

2009年に結婚。渡辺さん37歳の時です。

2010年-第一子誕生(男児)

東宝会館が閉鎖したのが2001年との事なので、出会いから結婚まで少なくとも8年を要した訳で、そのことからも自分が言っているとおりかなり奥手のようです。

出会いから結婚までの経緯は分かったのですが、肝心の奥さんについての情報は見当たりませんでした。画像検索しても一切なし。

ただ、週刊誌に戦場へ行くことに猛反対している奥さんの様子は載っていましたので引用しておきます。

「奥さんが“中東まで行くのに何十万もかかるんだから、そんなに遠くて危険な戦場にはもう行かないでほしい”“このままタレントを続けて”とたたみかけたそうです。さすがに渡部さんは譲れなかったのか、“いや…戦場には…行く”と、静かに反論したようです。お互い平行線で、奥さんが実家に帰ったこともあったと聞いてます」女性セブンより-2011年

これ子供が生まれたばかりの頃の話ですからね。その状況で実家に帰っちゃうっていう…相当反対したのでしょう。渡部さんもその頃テレビへの露出がかなり多く儲かっていたのか、奥さんもそんな旦那を戦地へ行かせるなんてとんでもないと。そりゃ必死になりますよね。

しかし、当の渡部さんはこれを全面否定

——戦場復帰をめぐって奥さんと対立していると聞きましたが?

「いやぁ…ないです…ないです。(妻は)すごく支えてくれていますし…感謝しております」

——奥さんが実家に帰ってしまうこともあるそうですが?

「いやいやいや…ないですよ」 女性セブンより

さて、どちらが本当なのでしょうかねぇ…

まあ、好き好んで家庭内の事情を自ら暴露するとも思えないですから、やはり一悶着あったと見て良いのではないでしょうか。

なので以後「家庭第一、仕事は第二」。つまりこれは奥さんの意志を反映しての保守発言だったのかもしれませんね。背景には奥さんを悪者にしてはいかん、との旦那としての気配りがあると。このようにも考えられますね。

報道カメラマンと戦場カメラマン

最後になりますが、この前興味深い話を聞いたのでそれについて。

ある人が戦場カメラマンと報道カメラマンの違いを尋ねられた時に、おそらく思いつきで行ったのでしょうが「地雷を踏んだ瞬間から戦場カメラマンになる」と笑えないギャグを飛ばしていました。

言い得て妙。全てが詰まっていますね。金のために戦地にきているという後ろめたさも地雷を踏んだ瞬間に全て吹き飛んでしまうという。なるほど。一面的な見方ではありますがね。

地雷を踏んでしまったカメラマンで印象に残っているのが南條直子さん。1955年生まれで1988年にアフガニスタンで反政府軍の兵士たちと同行中に地雷を踏んでお亡くなりになりました。享年33歳。

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http://npi.ac.jp/より

この方は戦場にかぎらず山谷などの所謂ドヤ街などの取材もしていおり、戦場というよりは人間の感情のこんがらがった部分が好きだったのではないでしょうかね。

格好いい生き様だなあと当時はぼんやりと思いました。戦地には行きたくないですが。

以上、渡部陽一さんについてでした。

最後に、、、

渡部陽一さんは生きていますよ。

以上

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